風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

本当に本当にありがとうございました

よく晴れています。初夏というか夏のようです。
映画「信長協奏曲」のBlu-ray & DVD、
amazon さんで、オリジナルの特典アイテムはつかないのですが、
お安くなっているものがありました。こちらです。


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私はこちらのBlu-rayにしようかな(笑)。


さて今日は、蜷川さんのことを私なりに、過去の「風色の椅子」を遡りながら、
感謝を込めて、書いていきたいと思います。


蜷川さんを初めてお見かけしたのは、「間違いの喜劇」名古屋の大千秋楽。
小栗くんは最後の最後で、怪我をしてしまって、
(左目の上あたりにまだ傷がわかるとき、ありますよね)
でもカーテンコールはにこやかな笑顔でした。


2006年3月12日


カーテンコールは、1階も2階もスタンディングオベーションの中、
パンッ!という音とともに、テープと紙ふぶきが降り注いできて、
舞台上の皆さん、それにちょっと驚きながら、揃ってお辞儀。
そして皆で顔を見合わせながら、相談事?と思っていると、
小栗くんがそれは疾風のような速さで、通路を駆け抜けたり、
舞台の袖に行ったり来たりしていて、蜷川さんを探していたんですね。
客席からも「蜷川コール」が出始めた頃、蜷川さんが舞台の袖から登場。
小栗くんと高橋さんの腕を持ち上げて、バンザイをするように、
お辞儀、お辞儀。鳴り止まない拍手、拍手、拍手・・・。
高橋さんも吉田さんも内田さんも、みんないい笑顔で、
そして蜷川さんは小栗くんの肩を少し抱くようにして、舞台奥へ去っていきました。
小栗くんは両手を上げて、晴れやかな笑顔でした。


今でもその様子が目に浮かびます。
蜷川さん、とても嬉しそうでした。
二度目は「ムサシ」のときに、ロビーにいたら、
私の後ろを、はや足で駆けて抜けていく蜷川さんをお見かけしました。
蜷川さんはゆっくり歩いているイメージはないですね(笑)。


「NINAGAWA STUDIO」というHP がまだ残っていて、
小栗くんと蜷川さんの写真を見ることができます。
【 NINAGAWA STUDIO 稽古場で迎える誕生日 】
「この日、小栗旬君、勝地涼君のシーンで、すごく良い芝居が行われ、
これもまた演出家へのプレゼントのようでした。」この文章も嬉しいですし、
寝っ転がっている写真は、二人の関係性が微笑ましいですね。 


さいたま芸術劇場のHP にて、蜷川さんと小栗くんの対談(NINAGAWA 千の目)。
【 NINAGAWA 千の目 小栗旬×蜷川幸雄 】
同じところへ「カリギュラ」へ向かっていく、
二人の笑顔が眩しいです。


そしてここからは、蜷川さんの小栗くんへの言葉を書いていきたいと思います。
小栗くんへの愛がたくさん感じられ、二人の関係も垣間見られるかなと思います。
どんなにか、蜷川さんが小栗くんの俳優としての才能を信じ、
愛を持って育ててくださったのかがわかります。
私は蜷川さんが演出する小栗くんがとてもとても好きでした。
「お気に召すまま」初演のオーランドーが21歳、「カリギュラ」が24歳、
蜷川さんは、小栗くんの20代前半の美しさを、
とてもとても大切してくださって、引き出してくださって、
いつも長身に映える裾の長い引き摺るような衣装でしたし、
美しさは芸術に到達するルートのひとつであることを、ひしひしと感じました。
だからこそ、30代になった小栗くんをどう蜷川さんが演出されるのか、
凄く観てみたかったです。しかも「ハムレット」だったこと、残念で悲しいです。


蜷川さんの言葉は的確で文学的でもあって、とても好きでした。
(弔電もくださったイギリスのプロデューサー、セルマ・ホルトさん、
三池監督の言葉も加えました。)


≪2005年≫


<雑誌 BARFOUT より>
蜷川「お前のキャラクターは変わってる。 今はのほほんでいいだろうけど、
   そのうち乗り越えられない壁が出てくるから、
   その前に俺が先手を打ちたいんだよ。」


≪2006年≫


<間違いの喜劇 メイキングより>
蜷川「おれは爺やになった気分だよ。」
小栗「そうだね、爺や(わざと優しげに)」
蜷川「うっせーやッ」


蜷川「罵倒のエネルギーがないんだよ。
   俺の体にはうずまいているわけ、ドブみたいに。
  (会見で言っていた言葉「小栗にドブを背負わせる」)
   それが小栗が乗り越えなきゃならない罵倒のエネルギー。
   相手を巨大なものにするってことだな。そこんとこちゃんと勝負しないと、
   世界レベルにいかないって俺は考えてる。
   だから小栗にはそこまでいってほしいわけだ。」


<間違いの喜劇 記者発表にて>
蜷川「小栗旬を中心に考えました。彼は中心にくるべき俳優だと思っております。」


蜷川「小栗は黙っていれば貴族に見えるから。」


<間違いの喜劇 パンフレットより>
・・・小栗旬さんにはどのような演劇的冒険を課しているのでしょうか。
蜷川「持って生まれた外観や声の良さ、品格などを大いに生かして、
   映像でやっている現代性の表現ではなく、
   古典のもつ骨格を演技に組み込んで、
   巨大な構造を担える俳優になってほしいと思っています。」


<タイタス・アンロニカス イギリス公演に向けて>
蜷川「小栗の、見た目の美しさやカッコ良さや、
   現代的な風を呼ぶ演技は武器になる。
   特に、ふとした瞬間の演技の角度が新しい。
   それと古典的な技法が結び付いたらいけるよ。
   僕は小栗の少年の尻尾をちょん切ってやろうと思っているんだ。
   成人の通過儀礼みたいなものかな。そうしても、小栗の魅力は残るから。」


蜷川「僕だって恐怖はあるんだよ。
   英国の観客の熱狂と冷ややかさは分かっているから。
   そういう最前線に俳優を送り出すことには大変な思いがあるよ。」


蜷川「RSTでは日本人俳優は、真田さんしかやってないからね。
   小栗は貴重な体験をするんだよ。」


エアロンに推薦したのは、イギリスのプロデューサー、セルマ・ホルトさんでした。
「実はこの「ハムレット」を観た、イギリスのプロデューサー、
セルマ・ホルトは、小栗を絶賛していた。
「タイタス・アンドロニカス」のシェイクスピア・フェスティバル参加が、
決まった際、小栗をエアロン役に推薦したのもセルマだった。
彼女は小栗のことを、
「彼の美しさは、イギリス人をも魅了するでしょう」と評した。」


蜷川「イギリスでも通用するある種の品の良さを持っている。」


<そのエアロンについて>
蜷川「小栗の美しさに嫉妬した。」
セルマ・ホルト「小栗の美しさに目が離せなかった。」


≪2007年≫


<NINAGAWA 千の目 より>
蜷川「小栗は本来、ハムレットをやるべき俳優であり、ロミオをやるべき俳優。」
   「僕は小栗にサブカルチャーをやらす気はない。」
   「あるいは風俗的な匂いがするところから、それはテレビで結構、
   僕は引き離そうと。」
   「小栗にもっとすごい俳優になってほしいから、与えたハードルです。」
蜷川「小栗、おまえはそんなところで生きるな。」
   「小栗、次のステップに行くんだぜ。」


カリギュラ
蜷川「誰も今、彼がこんなに世の中に受け入れられるとは
   予測してなかった。
   ただ、僕や僕の周辺にいる人たちは小栗君の才能を認めていた。
   格好よくてファッショナブルで、楽屋の廊下に彼が立ってるだけで、
   そこだけ違う空気が漂う。態度は生意気だけど根はナイーブで(笑)。
   芝居がうまくて微妙な揺らめきが出せるし、喜劇的なところも出せる。」


蜷川「アイツはね、ほっとけばグチュグチュ言って、外れたところにいるんだよ。
   もったいないから、引きずり出して蹴飛ばすんだ(笑)。
   さあ、テーマを背負って、責任持って中央に立て!と。
   小栗君はそういう才能なんです。」


蜷川「小栗くんの、透明で温かな甘え方。」


<雑誌 LOOK at STAR! 12月号 より>
蜷川「でもセリフが詩だろ?どこをとっても美しいよな。」


蜷川「それは天性の才能だと思うんだけど、
   おまえはたとえ古典のセリフを喋っても、
   ある種の日常的なリアリティがくっ付いてくるんだよ。
   本人の前では癪だからあんまり言いたくないんだけど(笑)。
   発声も含めて、相手の心に柔らかくスッと入っていく。」


蜷川「大の男が“月がほしい”とかさ。そんな言葉に説得力を持たせるって、
   大変なことだと思う。小栗はその点、まず見た目がいけるだろ。」


蜷川「だから憧れるし共感するんだ、カミュの世界に。
   繊細で傷つきやすいけど、虚無に通じるほど明るいからね。
   カミュがフランス人だからかな。南仏の日差しのように、
   透明度の高い暗さなんだ。そこが昔から大好きでね。」


蜷川「俺が生きている内に、小栗を天下無敵の俳優にするよ。」


カリギュラ プレスインタビュー>
蜷川「皆さんが発見する以前に、僕が発見しました。本当です。」
   「何年も前から小栗はちゃんと主役になる俳優だから、
   ちゃんといこうと言ってました。」
   「小栗のために何年か前に用意した企画なんですから。」
   「悪そうで利口でセクシャルで、上手いですよ。芝居。」


<雑誌 weekly ぴあ 小栗旬の時代 より>
蜷川「悪そうで、オシャレでかっこいい。叙情もある。」
   「俺は小栗のそんなところに同類の匂いを嗅いでいるんだよ。」
   「今回の「カリギュラ」は小栗のために立てた企画だからね。」
   「つまりメインカルチャーを充分に扱える俳優にしたいんだ。」


蜷川「小栗は今の自分の人気が虚妄だってわかっていて、もっと本質的な、
   俳優になりたがっている。今回の「カリギュラ」では、苛立ちや孤独、
   他者を求める気持ち、外れていく人間の悲しみ、
   それでいながら本当の自分を求めていくという男を演じる。
   それは今の小栗の世界そのものなんだよ。だから、舞台を通じて、
   いま小栗旬が本当に作りたがっているものを観てほしいね。」


≪2008年≫


<雑誌 週刊朝日 より>
蜷川「彼の魅力?まずは身体能力の高さだよね。
   演技者として必要な反射神経が備わっている。
   それと皮膚のきめの細かさ。
   ガラスみたいに、触ったらひんやりしてそうな質感がある。
   今の役者には大切な条件だよ。
   最後に声。恵まれた環境で育った者特有の甘さと、
   意識的に野性であろうとする男っぽさが共存している。」


≪2009年≫


オールナイトニッポン(ムサシ稽古中)>
蜷川「小栗!竜也!何、つまんないこと、ベラベラ喋ってんだよ。
   ちゃんと稽古やれ、稽古。
   えーっとリスナーの皆さん、こんばんは。蜷川幸雄です。」
小栗「知らなかったよ!」
蜷川「この時間か。僕はもう寝てるかな。今日は頑張って起きてます。
   小栗も竜也もですね。
   実は今、ムサシという芝居の稽古をしてまして、
   作品が全部あがってないんで、寄り道してる暇はないんですね。
   だから家に帰って、本を読まなければいけない。
   あの二人はよく酒を飲んでるから、酒を飲みすぎてはいけない。
   お能の稽古をしなきゃいけない。立ちまわりの稽古をしなきゃいけない。
   台詞は覚えなきゃいけない。
   やらなきゃいけないこと、もう山ほどあるわけです。
   で、早く帰れよ、といっても帰れないでしょうから、 
   楽しげに遊んでいいから、
   今日は寝ないで台詞を覚えて、明日の朝11時にちゃんと稽古場へ、
   来てください。実は真面目なんですよ。あの二人が。
   ちょっと態度は生意気なんですけども、とっても真面目ですね。
   二人で競い合って、意外と仲いいんですよ。
   竜也がわざと小栗を無視したりすると、少し傷ついたふりをしながら、
   小栗が一生懸命くっついていくと。そういう関係ですね。いい関係です。
   僕とは悪い関係です。意地悪ばっかり、僕はしてます。
   悪いやつですね〜。頭げんこつ。
   皆さん、どうぞあの二人をひっぱたいてください。
   早く帰れよ!以上、蜷川幸雄でした。」


オールナイトニッポン 100回記念>
蜷川「えー、小栗のこの番組が100回なんですって、信じらんないですね。
   それほどのあいつに、頭は、脳みそはちゃんとあるんでしょうか。
   小栗旬は大丈夫だったでしょうか。これからも頑張ってほしいと思います。
   おめでとう。」



<舞台「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」のパンフレットの、
蜷川さん、三池監督の対談より>
三池「“クローズ〜”もそうですけど、よそでやれない特別な場所だと、
   思ってくれてるのかな。小栗旬は売れれば売れるほど、
   みんなに共感される、愛される人にならなきゃいけないわけでしょ。
   主役ってそういうものじゃないですか。
   でも、もともとはアウトローになろうとして役者という生き方を選んでるのに、
   どんどん普通の人間を演じなきゃならなくなるという苛立ちがある。
   そのストレスを吐き出してもらうのが自分の現場というか。
   今の人たちは、みんなたぶん面白くないんだと思う。
   だから小栗旬にとっては、蜷川さんのお芝居が絶対に必要なんですよ。
   ベースはそこにある。一緒にやる度に全然違ってますよ。
   奥行きが出てきて、いい男になってる。“ムサシ”もよかったですね。」


≪2013年≫


<本 Next Stage より>
蜷川「今日はすっきりしているんじゃない(笑)。
   やっぱりかっこいい小栗を見たいんだよ。
   しょぼくれていく小栗なんかちっとも見たくないよ。
   常に時代のトップを走る小栗を見たいと思うから、
   いろいろ厳しく言っているわけで。神経を休ませたくないんだよね。」


小栗「シェイクスピアや古典のもつ魅力って、自分に酔える瞬間って確実にあるし、
   でも酔い過ぎると、ただ詠うだけになってしまうので、
   気をつけないといけないし。そこをちゃんと腹に落としこんで、
   言えるようになるとすごく自分が広がった感じになります。
   だから、蜷川さんと舞台をやるなら、「全然しゃべれてねえ」って、
   言われながら古典をしゃべっていきたいですけどね。」
蜷川「じゃあやろう!」
小栗「とにかく元気そうで良かった。」
蜷川「ああ元気だ、ありがとう。よかった、会えて。」
小栗「こちらこそありがとうございました。」


≪2014年≫


<ボクらの時代 より>


蜷川「こいつはさあ、恵まれた不幸っていうのがあって、
   恵まれた不幸がわかってるから、小栗はいいんだよね。
   それだけでは満足できない、ウジウジした自分があって、
   恵まれている自分をなんとか脱出したいっていうか、
   いろんなことが見える俳優であろうとする、人間であろうとするところがね、
   小栗のいいところなのね。
   で、消えそうになると、俺は怒るわけ。
   小栗!そばで敏感にいろんなものを抱えて生きてきたのに、
   お前、普通の人間になるなよ、なるな。」


蜷川「人間ってあまり幸せだと、穴を埋めるっていう冒険を、
   しなくなるっていう恐怖心が、自分自身にあるんだよ。
   で、たとえば、いい俳優には不幸でいてほしい。
   なんか欠落しているものがあるから、
   仕事で埋めたり、他者との熱いコミニュケーションで、
   埋めていく、そういうふうにあってほしいからで、実際問題として、
   家庭生活が幸せじゃいけないとは思わないんだけど。
   小栗はだから結婚したっていいんだけど、
   自分で苦しむハードルをそことは別個にみつけなきゃいけない。」


蜷川「結婚して幸せになるなら、なればって、ただ俺とやるときは、
   最高の人じゃなきゃいやだ。」


蜷川「普通の生活ってものを繰り返していくじゃない。
   ご飯食べて働いて帰ってきて家族を養うとか寝るとか、
   そういうもの、同じことの繰り返しで、その中で
   どういうこう自分を掻き立てるものを持つかっていったら、
   その人が必死になってその核を探さなきゃいけない。
   舞台だって同じだって思うんだよね。
   小栗に対して、ぎゃあぎゃあ俺が言っているのは、
   そこを通過しろと、二つの人生抱えてたら、実際の人生と、
   もうひとつの演劇を通した繰り返さなきゃいけないっていう人生、
   二つを抱えて、そこで格闘したら、芝居も持続できる何かが、
   発見できるかもしれないっていう気がするんだよ。
   で、それはいい俳優が背負うべき時代に来てるんだって気がするんだよね。
   そして見事にそれをやってのけて、あっと言わせてほしいと。」


本当に本当にありがとうございました・・・。