小雨が降っています。
22日、即位礼正殿の儀、饗宴の儀が執り行われました。
素晴らしかったですね。
まず天気の神様たちの心憎い演出がありました。
激しい雨の後、行事が行われるのを待っていたかのように、
空は晴れ、大きな虹がかかり、富士山には初冠雪が記録されました。
ツイッター上には、天叢雲剣や天照大神の文字が飛び交いましたが、
まさに神話の時代と地続きであることを実感するような出来事で、
その空のように心晴れやかになりました。
天候にも祝福され、行事も素晴らしいものでした。
ただただ静けさの中、甲高い証の音、衣擦れの音、
美しい平安絵巻が繰り広げられ、厳かで華やかで重厚で上品で、
この国の伝統文化に誇らしい気持ちになります。
そして天皇皇后両陛下は、本当に堂々と気品に溢れ、
内面からの包み込むような温かさ優しさに、感動しました。
特に皇后陛下は、饗宴の儀のドレス姿も、
眩しく輝くティアラとともに、さらに輝くような笑顔で、
お美しいなあと思って見ていました。
招待された王族の方々の正装、ドレス姿、民族衣装も素敵でしたね。
やはり正装、ドレスは、
品格がある方が着るからこその映え方があるなあと思いました。
天皇皇后両陛下、おめでとうございます。
令和の時代、平和な時代でありますように願っています。
新海誠監督のツイッターに、ロサンゼルスで小栗くんと会ったことが書かれています。
新海誠 (@shinkaimakoto) | Twitter
『天気の子』プレミア、ロサンゼルスのすべての日程を終え、再会した小栗旬さん(須賀)とずいぶん遅くまで飲みました。楽しすぎてついつい深酒しすぎ、二日酔いのまま帰国します…笑。ありがとうロサンゼルス!
楽しそうな様子が目に浮かぶようですが、
できたら本人の写真か、映像が欲しかったかな(笑)。
小栗くんは今、ずっとロサンゼルスなのでしょうか。
今年は、本当に日米を行き来する感じなんですね。
ときどき日本で顔を見せてくれながら、頑張っていただきたいです。
♪ あかいくらやみ~天狗党幻譚~ 感想 2013年5月17日のブログより ♪
真っ暗の暗闇に薄気味悪く浮かび上がる天狗の赤。
玉音放送等々が喧騒のごとく耳を覆い、ピタッと止まると、
国民服を身にまとい踝までの長いコートを着た大一郎と、
彼の後ろに心細そうに付いていく着物姿の奈生子。道案内は老婆。
舞台はとてもシンプルでした。中央に回り舞台。
ときに襖が数枚、現れたり、消えたりしながら、
第二次世界大戦後の時代の、それが温泉宿になったり、
過去へ、そして迷宮へ、その回り舞台が回るたび、
それこそくるくると、いえいえ、そろりそろりと、
天狗党の怨念のごとく、時間も場所も行き来しながら、
物語は進んでいきます。
シンプルな舞台に加え、音楽も情緒的なメロディなものは一切なく、
とにかく役者さんの生の身体と生きた声がすべてを動かしていました。
だから当然実力者揃いということもあって、
一字一句とても明瞭に聞こえてきて、
それは小栗くんもですが、文字が浮かんでくるように思えました。
当然舞台は目に見えているのですが、シンプルがゆえに、
見えないものも見えていて(想像で補って)、
その世界を一緒に構築していくので、物語の進行とともに、
どんどん引き込まれるというか、迷い込むという実感の方が強かったです。
それで私は勝手に観劇後、悶々とした思いにかられるのではないかと、
思っていたので、あるシーンからまるで逆の、
心に火が灯るように温かい気持ちが押し寄せてきて、
涙が滲んでしまったことに驚きました。
それは小栗くんが大一郎役になった理由にもなっていると思うのですが、
大一郎は、憎み合う敵同士の血が混じって生まれた、
特別な子なんですよね。それがわかった瞬間に、闇が晴れるようでした。
小栗くんが大一郎を演じた理由。
目が悪く丸メガネをかけて、戦争中ただ穴を掘っていた、
逃げることだけには長けているような、
何かに意味を求めているのに、それさえわからないような、
でも目を引くスラリと長身でその長い手足は、その特別さに、
大一郎という特別さが重なったように思えました。
時代に翻弄され滑稽で哀れで、失った命は数知れず、
しかしそれぞれの思いは実はどんな思いであってもたとえ不毛であっても、
その上にまた命は繋がっていくのだなあと思いました。
天狗の歌が少しの間、耳から離れなかったです。
「あかいくらやみ」の「赤」は、天狗の赤であり、血の赤であり、
血縁の赤なのかなあと思いました。
そうそう大一郎は、回を重ねていくにつれ、ラッパが上手くなりそうですよね(笑)。
コミカルなところも小栗くんの良さが出ていたと思います。
皆さんしっかりと演じられているので、
気持ちよくその世界に連れて行ってもらえて、
しかもこういうお話なのですが、笑うところもときどきあって、
2時間半、濃密に見せてもらいました。
なんだか観ながら、もう2004年からこうして東京に出てきては、
毎年のように舞台を観させてもらっているので、
「実は親戚の男の子、役者をやっているんですよ」なんて、
言いたくなるような(笑)、小栗くんの役者としての成長を、
生で実感出来ることは嬉しいことだなあと思いました。
大一郎の台詞より。
何かもっと予感していたんだよ。そう、予感。一部になって脅かされる予感。外から眺めているんじゃなく内から見つめる臨場というか、結合を予感してたんだ。逃げ惑うことじゃないんだ。