曇り空の一日でした。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」最終回を観ました。
もう泣きました。声をあげて泣いてしまいました。
今までドラマで泣いたことはありましたが、声をあげて泣いたのは初めてです。
最後のシーンを思い出すだけでまた涙が出てきます。
義時の最期のシーンはまさに大河史上に残る名シーンだと思いました!
小栗くん、本当に凄い!
そして小四郎が可哀想で哀れで悲しくて愛しくて、
真っ白な着物に黒い着物を羽織り、陽の光に縁取られたやつれた横顔と、
乱れた髪、もがき苦しみながら這いつくばった体も、
床につけそうになった唇も、無様で哀れで、でも壮絶に美しかった。
それは小四郎が鎌倉を守るため、鎌倉の犠牲に自らなったこと、
それが愛する人の息子を輝かせるための不器用なやり方だったこと、
最後の最後の「姉上」という声音が、はっとするような穏やかさで、
確かに姉と弟の間に愛があったこと。
その純粋さが小四郎を美しくしたのだと思います。
本当に心優しい生真面目な小四郎は、苦しんで苦しんで、
修羅の道を歩んでいたけれど、
本当はずっと前から姉上に自分を殺してほしかったのではないかとさえ、
思ってしまいました。
北条義時という人生は自分の意思に関わらず、翻弄され、
登り詰めた居心地の悪さと波乱に満ちた悲しい人生だったかもしれませんが、
最後の最後で愛する八重さんや太郎、そして姉上と、
愛を握りしめながら、小四郎として死ねたことはよかったのかなあと思いました。
(薬を手に持つ政子)
政子「まだ手を汚すつもりですか」
義時「この世の怒りと呪いを全て抱えて、
私は・・・地獄へ持って行く・・・太郎のためです。
私の名が汚れる分だけ、北条泰時の名が輝く」
(苦しみながら手を伸ばす義時)
政子「そんなことしなくても太郎はきちんと新しい鎌倉を作ってくれる子」
義時「薬を」
政子「私たちは長く生きすぎたのかもしれない」
(薬を開けて床に流してしまう政子)
義時「姉上」
政子「寂しい思いはさせません。私もそう遠くないうちにそちらへ行きます」
義時「私はまだ死ねん。まだ」
(烏帽子もとれ、這うように進み床に溜まっている薬を舐めようとする義時)
(政子が袖でそれを拭く)
政子「太郎は賢い子。頼朝様やあなたが出来なかったことを、
あの子が成し遂げてくれる。北条泰時を信じましょう。
賢い八重さんの息子」
(義時、少し微笑んで)
義時「・・・確かに。あれを見ていると八重を思い出すことが」
政子「でもね。もっと似ている人がいます。あなたよ」
義時「姉上、あれを、太郎に」
(頼朝から渡された仏像を政子が手に取る)
政子「必ず渡します」
(頷く義時)
小四郎「姉上」
政子「ご苦労様でした。小四郎」
(政子、小四郎に寄り添いながら、すすり泣く)
「でもね、もっと似ている人がいます。あなたよ」
本当にそう。純粋な小四郎の分身だったんですよね。
だから小四郎もきっと違う道があったのかもしれないと思うと、
鎌倉時代がこういう小四郎を求めていたのかなあと、
やはりその一部になってしまった小四郎だったのだなあと思いました。
しかし私にとっても凄い1年でした。
こんなに日曜日に翻弄される1年になるとは思いませんでした。
大河の主役として、最初にクレジットされた「小栗旬」という名前、
最終回にこんなにも名残惜しく誇らしく、クレジットされた「小栗旬」という、
名前を見ることになるとは、本当に毎週毎週、楽しませていただきました。
感謝です。ファンとしてもとてもとても充実した素晴らしい、
幸せな1年でした。
「ご苦労様でした。小四郎殿」
そして「お帰りなさいませ。小栗旬さん」