風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

夢の実現

晴れました。ちょっと汗ばむくらい暖かい日です。

小栗くんに関しては、ウォーミングアップツアーも終わり、

いよいよ大運動会を待つばかりですね。

私は今回はやはり配信組で(まだ配信されるかわかりませんが・笑)、

そしてチケットがとてもお高いですね。しかも競争率も激しそうですし、

皆さんの健闘をお祈りしています。

 

さて浅田真央さんの夢のひとつが実現しました。

浅田真央は「言い出したら聞かないから(苦笑)

MAO RINK オープニングセレモニーで見せた“晴れやかな表情”の意味

「すごい楽しみな気持ちに・・・」

https://news.yahoo.co.jp/articles/509197aa0c45a3232789746af1e1e4610326331a?page=1

東京・多摩地域を南北に結ぶ多摩モノレール立飛駅を降りる。  数分も歩くと、黒色の外観の建物が見えてくる。そこに描かれた「MAO RINK」という大きな文字が目に入る。

11月8日。  冷えた空気に包まれ、それでもまぶしいほどの青空に恵まれたこの日、11月11日の開業を前に、東京都立川市スケートリンク「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」のオープニングセレモニーが行われた。名前の通り、浅田真央がプロデュースしたリンクだ。30m×60mと国際規格のサイズのメインリンクには1000席の常設スタンドがあり、サブリンクやトレーニングジム、バレエなどができるスタジオなどを備え、レストランもオープンを予定している。

リンクとともに始まる“浅田真央の新章”

内覧会のあと、13時に場内が暗転。大きなビジョンに映像が流れる。  ナレーションとともに映し出されたのは浅田真央の足跡だった。

「1990年9月25日、愛知県名古屋市生まれ。34歳。5歳でスケートをはじめ12歳で初めて出場した全日本選手権で天才少女として大きな注目を浴びた。  ジュニア史上初めてトリプルアクセル成功、バンクーバーオリンピック銀メダル。世界選手権優勝3回」  競技生活時代を「スケート人生の第1章」と位置づけ、「2017年競技生活から引退し彼女の第2章が始まった」。3つのアイスショーを成功させたことが紹介されると、浅田本人が映像に登場する。

「第3章は、自分がコーチとして世界と戦えるスケーターを育てたい。立川市から世界一のスケーターを育てたい。自分がスケーターとしてこうだったらいいなという願いを全部つめこみました」  高らかに、新たな章のスタートがリンクとともに始まることを告げた。

映像が終わると、白を基調としたリンクに進み出る人がいる。浅田真央だ。披露したのはこの日のためのプログラム「ブライトフューチャー」。ソロのパートに加え、キッズスケーターたちも交えて滑る。その後、浅田とともに協業でスケートリンクを建設する「MAO RINK PROJECT」を進めてきた株式会社立飛ホールディングスの村山正道社長、酒井大史立川市長が挨拶を行い、セレモニーは終了。その後は立川市内の幼稚園児20名が参加しスケート教室を開催。滑った経験のない子たちも少なくない中、優しく語りかけ、ときに手をとり教えた。  終始これ以上のない晴れやかな表情を見せていた浅田は言う。

「MAO RINKをつくるのが子どもの頃からの夢でした。スケーターの願いを全部つめこんだ世界一のリンクだと思っています」  国際規格で実現したメインリンクは集中しやすいようにと黒をベースにした壁になっている。一転、サブリンクは大きな窓で外の風景を取り込む。子どもの頃から室内リンクで練習し、外を見ることがなかった経験からだと言う。 「桜の木があるので、春は桜の花を見ながら楽しんでほしいと思っています」  外壁には金、銀、銅が配色されている。 「世界で金銀銅(メダル)を獲るスケーターが育ってほしいという思いをこめています」  またアイスショー開催時を想定して女性化粧室を増やしたり、さらには化粧室のピクトグラムにスケートをモチーフとしたイラストが描かれているのもこだわりの一環だ。 「担当者が苦労するくらい、(浅田に)こだわりがあって大変だったんですよ。言い出したら聞かないから」  と苦笑する村山社長は、笑顔で続ける。 「おかげでいいものができました」

浅田と村山社長が会い、浅田がリンクの建設について要望したのは2021年3月のこと。 「仕事で出会った方にご紹介いただきました」(浅田)  ただ、村山社長は最初に話があったときをこう振り返る。 「『会わない』と返しました」  それでも、「何度か話があったので、『分かりました』と」。  実は村山社長のもとには以前、別のところからもリンク建設の話があり、「やんわりと」断っていたという。それもあったのだろう。「(浅田の打診が)なんの話かは分かっていたので」「会わない」という返事をした。  それでも面会にこぎつけた。かけがえのない時間に、浅田はA3の紙2枚に鉛筆書きでびっしり書き込んだ資料を持参し、懸命に思いを伝えた。 「立川にアイスリンクがあってもいいな、立川にとっていい話だと思いました」(村山社長)

オープニングセレモニーに先立ち、メインリンクを初滑りしたあと、浅田はこう話している。 「今、すごいきれいな氷にスケートの軌跡が描かれていると思うんですけど、たぶんいろんな人が来て、いろんな思い出とかがここに刻まれるのかと思うとすごい楽しみな気持ちになりました」  

多くの祝福は、その言葉に呼応しているかのようだった。

 

本当におめでとうございます!

ちょっと名前を貸したとかいうリンクではなく、

根幹から携わったリンクというのが素晴らしいと思います。

引退後、数々のアイスショーを経て(私も最初のアイスショーを観に行きました)、

しかもどんどんグレードアップしていき、

アイスショーもキャストとして滑ることはもちろん、メンバー構成、演出、

衣装等々、すべて主導されていて、なんて才能のある方なんだろうと、

思っていましたが、今度はリンクまで。

きっと何十億を動かす事業ですよね。本当に凄いです。

ただただフィギュアスケートが大好きなんだなあと、

それが自分に向かうのでなく、まわりの人たち、未来のフィギュアスケーターに、

向かっていって、夢を実現する姿に感服します。

素敵な素敵なMAO RINKへたくさんの方たちが滑りに来ますように。

世界的な魅力的なフィギュアスケーターが誕生しますように。

 

こうやって真央さんはフィギュアスケート界を広く見ている感じがしますが、

小栗くんもそういうところありますよね。

俳優界を俯瞰して見る力があるというか、社長になりましたし、

いろいろ改革しそうな感じもします。まずは大運動会からですね(笑)。

 

10日に「THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件」が放送されました。

相変わらず立ち姿が美しく、組んだ足が長く、

いちいち顔へ持っていく細くて長い指が、とても色っぽくて、

やっぱり鳥飼誠一、素敵です!

鳥飼誠一くん、好きなんですよね~(今更・笑)。