風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

ラストシーン考察

寒い日が続きます。
実は、「シュアリー・サムデイ」のDVDが届いているのですが、
なかなか見られず、どうも頭の中に、アレックスがウロウロしていまして(笑)、
小栗くんはこの間まで、真っ当な(笑)鳥取先生だったのに、
もうどれが本当かわかりません。
でもアレックス役は、結構好きです(笑)。
落ち着いた正統派の役ばかりでは面白くないですし、
まだまだ若いのですから、いろいろな役を幅広くやってほしいです。
そして観劇後、あーだこーだと考えるのも楽しみのひとつですが、
ラストシーンについて、こういう解釈もあるかなと思いつきました。
華やかな悪の力に囚われ、格好よくて可愛く美しいアレックスの魅力に目がくらみ、
思考回路がときどき止まったりする中(笑)、頑張って考えました。
読みたい方だけお願いします。







ラストシーンについて、映画では、アレックスがまた元に戻ったところで、
ゾッとして終るようなのですが、
今回は、原作者の戯曲のとおりのラストになっているそうで、
しかしそこに、河原さんの解釈が加えられているのかなと考えて、
更生したと思われるラストシーンについて、
あれは壮大なる皮肉かなと思いました。
河原さんの言う違和感とはこれかなとか。
【 河原さんのブログ 】に、
“観劇後、観る側にある種の混沌、違和感を残せたらいいなと思っておりますが”
と書かれています。
前半のあの行為が、とても青年期の特有なものだけとは片づけられず、
あれで更生しました、では、薄っぺらな物語になってしまうので、
最後の無意味なごとく、楽しげな歌と踊りで、
かえって毒を感じるように出来ているのかなあと思いました。
でもブログの続きには、
“あとは煮るなり焼くなり好きに観て下さいませ。”と書かれていますので、
人それぞれいろいろなことを感じて、帰ってくればいいですよね(笑)。
考えることは楽しいです。
次回観たら、また感じ方が変わるかもしれないので、
愛知公演は2月末なのでまだ先ですが、そのときを楽しみにしたいと思います。