よく晴れました。
ゆまさんから教えていただきました(ありがとうございます)。
先日の笠原くんのブログのことについて、赤坂匡介さんがその日のことを、
書いてくださっています。 講師ではなく、講義アシスタントだそうです(笑)。
「さるもこしかけるブログ」で検索してみてくださいね。
講義アシスタントでも素晴らしいと思います。
小栗くんとは本当に長い長い友人の方ですよね。
さて今日は「キツツキと雨」の完成披露試写会です。
いよいよですね。観に行かれる方、楽しんできてくださいね。
明日、ワイドショー等で、取り上げてもらえるといいですね。
そして昨日のコメント欄でカミママさんが「ピュアな役ランキング」を、
リクエスト?(笑)されたのですが(ありがとうございます)、
小栗くんの演じる役は、それは彼が演じるゆえなのか、
本当に核の部分がピュアなので、
すべての役にピュアな部分が透けて見えると思います。
「オールナイトニッポン」第51回、鋼太郎さんがゲストのときに、
小栗旬の最初の印象は?という質問に。
「だからやっぱりお気に召すままで、初めて一緒にやったときの、
お芝居やって、凄いなコイツと思った瞬間だよね。小栗にも何回も言ってるけど。
うわ〜、ピュアだ、ピュアがものすごいこっちきたもんね。
泣きそうになったもん、俺。泣きそうになるようなシーンでもあったんだけどさ。
そこさ。びっくりしましたね」
こう仰っていたのですが、まさにそのとおりで、オーランドーから、
「Summer Snow」の篠田純くん、「青と白で水色」の匠くん、
こーくんもうっちーも、花沢類と佐野泉も、すべてピュアであると言えます。
だからランキングは書けないのですが(すみません・笑)、
でもベスト1は決まっています。それは「カリギュラ」です。
そのことについて、以前、このブログに「純粋さの持続」という同じタイトルで、
書いたのですが、今も同じ気持ちなので、そこから抜粋しますね。
私はあのカリギュラの中に、
ものすごい純粋さを感じたのです。
それは1回目に観たとき、あのカリギュラとシピオンのシーンで、
自分でも驚くほど、涙が止まらなくて、
残虐非道を繰り返してきたカリギュラの、その純粋な部分が、
複雑に絡まったようなカリギュラの心の中の、
その速い心の流れから、砂金を掬い上げるように、
もう見たこともないような、美しい純粋さで現れて、
心はみるみるいっぱいになり、涙は流れ続けました。
その純粋さは、喜劇の中、優しく温かく表現されたり、
悲劇の中、わざと戯れのように、でも真実の言葉として表現されたり、
でもそのもとになるもの、それが小栗くんの中で、ずっと息づいてきたんだなあって、
自分の中では、どう心をひっくり返したり、探しまくったりしても、
みつからないような純粋さが、彼の中にはあるんだって、
その部分に触れたとき、心震えます。涙が流れます。
カリギュラが、強引にシピオンを引っ張り、自分は椅子に腰かけて、
そしてシピオンはカリギュラの前に跪く形なり、
カリギュラが、シピオンの頬に手を添え、そしてまたふたりは立ち上がり、
互いに抱きしめあいながら、美しい詩を口ずさむシーン。
溺れるほど優しい声、揺れる髪。
シピオンの頬に置かれたカリギュラの、ネイルされた長く美しい指。
カリギュラの背中に回されたシピオンの手は、幼子がしがみつくように。
切なくなるほど、美しい二人でした。
この後、カリギュラは、またシピオンを突き落とすようなことを言うのですが、
その後は、カリギュラの孤独が胸に突き刺さるように、伝わってきます。
その孤独もまた姿を変えた純粋さのような気がしました。
もう本当に圧倒的でした。純粋さの結晶を見たような、
純粋さを突き詰めると破滅に辿り着く・・・それを体現したカリギュラでした。
演劇の凄さを実感した舞台で、私がファンになったのは、
このカリギュラに出会うためだったんだとも思いました。
小栗くんが演じるいろんな役を観るたびに感じる純粋さは、
彼の中に確実にあるもので、偽りではなく本物だから、心を打つんだと思います。
それは今でも美しいままで持続され、
これからの幸一くんもムッタも鳥飼くんも河童さんの中にも(笑)、
きっと純粋さはキラッと光って、心に響くことでしょう。
楽しみにしたいです。