風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

南仏の日差しのように、透明度の高い暗さ

秋晴れです。
さて、11月に入ってなんだか暖かい日が続いていますが、
あの日もこんなに暖かかったかなとか、
11月はこの話題を一度は書きたいと思っていました。
2007年11月に上演された「カリギュラ
そういえば、先回の「オールナイトニッポン」のあの冒頭の言葉を、
聞いたときに、セゾニアの台詞を思い出したんですよね。


セゾニア「そう、あんたたちは知ってる。でも魂をこれっぱかりも持たない連中は、
      みんなそうだけど、あんたたちは、魂のありすぎる人間に我慢できない。
      魂がありすぎる!それが厄介なのよ、そうじゃなくて。
      だからそれを人間は病気と呼ぶ。知ったかぶりの連中が、
      正しいってことになって、そいつらは満足する。
      あなたは、一度でも人を愛せたことがあるの?ケレア。」


“魂がありすぎる”〜が小栗くんに通じるような気がします。
魂がありすぎることは、パワーを要することですよね。
そうそう、この間、古田新太さんの「情熱大陸」を観て、
また小栗くんの「情熱大陸」を観てしまったのですが、
今の小栗くんもそれはとっても素敵なのですが、
この24歳の小栗くんも、本人は苦しかったかもしれませんが
凄く凄く好きなんですよね〜。
あの1年が大いなる役作りだったかのように、
すべてが「カリギュラ」へ向かっていった日々。
私はまず蜷川さんが、小栗くんに「カリギュラ」を用意した、
そこがとても素晴らしいと思います。以下雑誌に載っていた蜷川さんの言葉。


「でもセリフが詩だろ?どこをとっても美しいよな。」
「それは天性の才能だと思うんだけど、おまえはたとえ古典のセリフを喋っても、
 ある種の日常的なリアリティがくっ付いてくるんだよ。
 本人の前では癪だからあんまり言いたくないんだけど(笑)。
 発声も含めて、相手の心に柔らかくスッと入っていく。」
「大の男が“月がほしい”とかさ。そんな言葉に説得力を持たせるって、
 大変なことだと思う。小栗はその点、まず見た目がいけるだろ。」
「だから憧れるし共感するんだ、カミュの世界に。
 繊細で傷つきやすいけど、虚無に通じるほど明るいからね
 カミュがフランス人だからかな、南仏の日差しのように、
 透明度の高い暗さなんだ。そこが昔から大好きでね。」
「俺が生きている内に、小栗を天下無敵の俳優にするよ」


“透明度の高い” “透明感”は、いつも小栗くんを表すのに付きまとう言葉ですが、
“繊細で傷つきやすいけど、虚無に通じるほど明るい”
“南仏の日差しのように、透明度の高い暗さなんだ。そこが昔から大好きでね”
それらがやはりカミュを小栗くんへと、
蜷川さんが考え出された要因かなと思います。
そして、“それは天性の才能だと思うんだけど、おまえはたとえ古典のセリフを、
喋っても、ある種の日常的なリアリティがくっ付いてくるんだよ。”
これは本当に本当に毎回、特に生の舞台の小栗くんのお芝居を観たときに、
実感しますよね!
難解な台詞でも、生理的に受け入れられるというか、
頭で聞くのではなく、心で聞く台詞というか、
まさに“相手の心に柔らかくスッと入っていく”〜そのとおりだと思います。
こういうことを書いていくと、マイクを通さない、生の声での、
小栗くんのまた溺れるような美しい台詞を聞きたいなあと思ってしまいます。
蜷川さんには、また着々と天下無敵の俳優にしていただきたいですね(笑)。
そして芸術の秋ですから、やっぱり舞台は秋にも観たかったです(笑)。
苦しくて、狂おしい、とてもとても美しい皇帝でした。


カリギュラ「きみの詩を聞かせてくれ。」
シピオン 「そういわれても無理です、陛下。」
カリギュラ「なぜ。」
シピオン 「持ち合わせていません。」
カリギュラ「思い出せないのか。」
シピオン 「思い出せません。」
カリギュラ「じゃあ、せめて内容だけでも聞かせてくれ。」
シピオン 「内容は・・・」
カリギュラ「何だ。」
シピオン 「いいえ、わかりません」
カリギュラ「頑張ってみろ・・・」
シピオン 「大地の調和、といったような・・・」
カリギュラ「大地と足との。」
シピオン 「ええ、そんな感じの・・・」
カリギュラ「続けろ。」
シピオン 「ローマの丘。そこに夕暮れが連れてくる、
       束の間の、呆然とするような鎮もり・・・」
カリギュラ「みどりの空に鳴き騒ぐツバメたち。」
シピオン 「ええ、そうです。」
カリギュラ「そして。」
シピオン 「なおも金色に満ちた空が、にわかによろめくと、一瞬のうちに、
       面差しを変え、輝く星でいっぱいの顔をぼくらに見せる。
       あの微妙なひととき。」
カリギュラ「大地から夜へとのぼってゆく、煙と木々と水の匂い。」
シピオン 「かまびすしい蝉の声。暑さ、収まってゆき、犬、
       最後の荷車のがらがらと転がる音。農夫たちの声・・・」
カリギュラ「そして、影にひたされゆく道は、乳香とオリーブの木々をぬえ。」
シピオン 「そう、そうです、そのとおりです!どうやってこれを?」
カリギュラ「わからない。たぶんきみとおれが同じ真実を愛しているからだ。」
シピオン 「ああ、もうどうでもいい。僕の中で何もかもが愛の姿になっていく!」


カリギュラカリギュラ!おまえも、おまえも罪がある。
       そうだろう、人より多いか、少ないか!それだけの違いだ。
       だが、裁判官のいないこの世で、誰があえておれを裁く?
       誰もかれもが罪人の世界で。・・・おまえはよく分かっている、
       エリコンは来てない。おれには月が手に入らない。
       苦しい。本当であること、終りまで行かなければならないということ。
       苦しいのは、終わるのが、完成するのが怖いからだ。」


カリギュラ「おれは心の静まるあの大きな空虚をもう一度見つけるんだ。
       なにもかも複雑に見える。だが、なにもかも単純だ。
       もし俺が月を手に入れていたら、もし愛だけで充分だったら、
       すべては変わっているだろう。この渇きをどこで癒せばいい。
       どんな心、どんな神が、湖の深さをたたえているのか?
       この世には何も、おれに見合うものは何もない。
       それでも、おれは知っている、おまえもだ、不可能がありさえすれば、
       それで充分だ。不可能!おれはそれを世界の涯てまで探しに行った。
       おれ自身の果てまで。おれは自分の両手を差し出した。
       両手を差し出す、するとおまえに会う、いつもおまえだ、
       おれの前にいる。そしておれはおまえに対して憎しみでいっぱいになる。
       おれは行くべき道を行かなかった。おれは何物にも到達しない。
       おれの自由はよい自由ではない。エリコン!エリコン!何もない!
       まだ何もない。夜が重い。エリコンはもう来ない。
       おれたちは永遠に罪人だ。夜は人間の苦悩のように重い。」


カリギュラ「歴史のなかに入るんだ、カリギュラ、歴史のなかに。」


カリギュラ「おれはまだ生きている!」