風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

天下無敵の俳優にするよ

初夏のような日でした。
蜷川さんがお亡くなりになりました。
一報を聞いたとき、涙が止まらなくて、
なんとなく、なんとなくですけど、来年こそ、
小栗くんが蜷川さんの舞台に立ってくれるような気がしていたのです。
発表もされてないのに、何回観に行こうかなと思っていました。
小栗くんも、蜷川さんの舞台に立ちたいって言っていたのに、
もう蜷川さん演出の小栗くんのシェイクスピアは観ることができないのですね。
小栗くんの「ハムレット」が観たかった。
舞台の素晴らしさを教えてくださったのは蜷川さんです。
2004年に「お気に召すまま」を観ていなかったら、
こんなにも小栗くんを好きになっていなかったと思います。
敷居が高いシェイクスピアをわかりやすく楽しく、芸術的でありながら、
何よりうっとりするほど美しく魅せていただきました。
そして全く無名だった小栗くんをすごく買ってくれていたのも、
蜷川さんでした。
2006年、「間違いの喜劇」の記者会見で、
小栗旬を中心に考えました。彼は中心にくるべき俳優だと思っております。」と、
言ってくださって、驚くとともに凄く嬉しかったのを覚えています。
メイキングでは、
「基礎的なことをやっていないと表現者は長生きしない。
それをやっていないとメディアや、観客に食い荒らされ、捨てられる。
そうならないために、小栗に基礎的栄養を与えてるんだ」と仰っていて、
本当に、小栗くんがまだ駆け出しの頃に、蜷川さんと出会えたのは、
どんなにか彼の俳優人生の糧になったか計り知れません。
蜷川さんなら、100歳くらいまで演出をしていらっしゃるだろうと思っていました。
そのくらいエネルギーのある方でしたよね。
ずっと挑戦的で安穏とせず闘っている方でした。凄い方でした。
カリギュラ」も本当に本当に素晴らしかった。
あれ以上の舞台にいまだ出会えていません。
そのときに、「俺が生きている内に、小栗を天下無敵の俳優にするよ」と、
言ってくださったのに。
まだまだ天下無敵の俳優ではないですよ・・・。
2007年、ある雑誌から、蜷川さんの言葉。


「美しいノイズを発する演出家でありたい。
“美しい”というのは、世間を許容しないこと。
今のサブカルチャーだらけの日本なんて、許容しねーよ。
今の日本が規範とするような行動から外れたい。
年をとったらひっそりしているなんてイヤなんだ。
ひたすらたくさんやり続け、“なんだあいつ、何を考えているんだ?”と思われたい。」


本当にありがとうございました。
心より、ご冥福をお祈りいたします。


そしてやっぱり小栗くん、蜷川さんの舞台に立つ予定だったようです・・・!
【“門下生”蜷川さん追悼続々 小栗旬沈痛 7年ぶりタッグ叶わず「また叱って…」 】
日本を代表する演出家の蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんが12日亡くなった。80歳。埼玉県川口市出身。蜷川さんの薫陶を受けた“門下生”から悲しみの声が相次いだ。
ハムレット」「お気に召すまま」「間違いの喜劇」「タイタス・アンドロニカス」「カリギュラ」「ムサシ」など、多くの蜷川さん演出作品に出演した俳優の小栗旬(33)は所属事務所を通じて追悼コメントを発表。「正直、まだ現実を受け止められないでいます」と沈痛な思いを記した。
2009年の「ムサシ」以来、7年ぶりの公演が今秋に予定されていた。「ついにまたご一緒できる。叱っていただけると心のそこから楽しみにしておりました」と再タッグが叶わず、残念がった。
「ご冥福をお祈りいたします。でも、つらいです。『おい!小栗。何やってんだよ!』という声が聞こえないのは」と寂しがった。


これはもう、言葉が出ない・・・。
やっぱりそうだったんだ。それも今秋。
小栗くんも辛いですよね。
でもでも蜷川さんとの時間が宝物でしたよね。
私も蜷川さんの舞台を観ることができたこと、宝物です。