風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

いいえ、愛しさのために

よく晴れました。

小栗くん、ライトオンの新ムービーです。
俳優の小栗旬さんが出演する衣料品チェーン「Right‐on(ライトオン)」の新ムービーがこのほど公開された。小栗さんは同チェーンのグレーのクルーネックTシャツの上に、ベージュの開襟シャツを羽織り、和紙糸を織り込んだデニム生地「和紙デニム」のパンツを合わせた大人のカジュアルコーデを見せている。ムービーはライトオンの店頭で公開されている。

共演した犬はボルゾイという犬種のブラン君で、ブラン君は小栗さんのかけ声に反応して駆け寄ったり、小栗さんに合わせて階段を駆け上ったりするなど、息ぴったりの様子を見せた。休憩中には小栗さんがブラン君をなでまわすなど終始穏やかな空気が流れていたという。

 

ワンちゃん、可愛いです。こういう毛足の長い犬はブラッシンクが大変そうですね。

綺麗なワンちゃんです。

そして小栗くんは今、「罪の声」の撮影、真っただ中でしょうか。

なんとなく、水曜日に初公開の情報が出る場合が多い気がして、

水曜日を気をつけているのですが、なかなかないですね。

映画のお仕事が続いたので、連続ドラマとか、期待しています。

でも舞台のお知らせが一番嬉しいのですが、

またこういう舞台を観たいです!

 

♪ カリギュラ 感想   2007年11月17日のブログより ♪

それは重い扉でした。
開けてはいけない扉だったかもしれない。
胸が締め付けられるように苦しい扉、切なく美しい扉。

ローマに似つかわしくないような、人工的な細い色とりどりのネオン管が、
光輝く中、いろいろな感情が、降りしきる雨のように降りそそぎます。
誇り、狂気、滑稽、侮蔑、残酷、傲慢、恐怖、見せしめ、気まぐれ。
叫び、脆さ、繊細、嘘、なぐさめ、諦め、望み、絶望、甘さ、優しさ・・・。
カリギュラは、泥のように、悲しみに打ちひしがれて現れたかと思うと、
白いテーブルクロスの上を、食器を蹴散らし、大股で歩く。
その長い指は、愛撫するように優しかったと思えば、
残酷な指先にも豹変する。
長い衣装の裾を引きずりながら、縦横無尽に、駆けめぐり、
非道なことを命令し、幼子のように抱きしめられて、涙を流す。
とても理詰めの物語でした。すごく抽象的な哲学的な詩的な台詞が並びます。
それでも痛いほど、伝わってくる。まずそれに驚きました。
魂の叫びと書くことさえ、軽々しいような、
心の奥深く、沸きあがってくるような、底なし沼のような、カリギュラの心。
とてもとても魅力的でした。
あれだけ残虐非道なことをしているのに、
彼を愛したシピオンの、エリコンの、セゾニアの気持ちがわかるのです。
特に、カリギュラがシピオンを抱きしめ、
二人で、詩を交互に口ずさむシーン。美しかった。
自分でも思いのほか、涙があふれてきて、戸惑いました。
シピオンの清らかさと、カリギュラの純粋さが、
それは身を切るような純粋さが、ものすごく伝わってきて、
涙を止めることが出来ませんでした。
セゾニアとのシーンも切ないものでした。
その手で殺してしまってからの、カリギュラが愛おしそうに、
セゾニアを抱き上げてゆっくり下ろすところが、より悲しかった。
ケレアは、敵対しながらも、彼を理解出来る数少ないうちのひとりで、
二人の攻防は、緊迫感がありながらも、どこか甘美な雰囲気もありました。
月を探してくれたエリコン、諭すようなその優しさ、
最後まで味方になってくれた人でした。
美術は、鏡のようになっていて、
いろいろな角度から、カリギュラを、シピオンを、貴族達を映します。
それは最後のカリギュラの独白のシーン、
カリギュラカリギュラ自身に問いかけるように、
さまざまなカリギュラに、追い詰められるように、
その激しい苦悩に身悶え、立ち向かっていく姿は、
息が苦しくなるほど、胸に、心に迫ってきました。
父を殺されたのに、清らかに愛してくれたシピオン。
カリギュラを、少しニヒルに、でも包み込むように、守ってくれたエリコン。
そしてすべてをかけて愛を注いでくれたセゾニア。
彼のまわりには、確実に愛が存在していたのに、
その愛をひざまずいて、受け取ることさえ、
若いカリギュラには、屈辱だったのだろうか。
小栗くん、本当に素晴らしかった。
まさに堂々としたタイトルロールでした。
声もよくでていて、残酷な声は凍りつくように、そして優しい声は、とめどなく甘く。
これは、本当に今、今の小栗くんだからこそ、表現出来たことだと思います。
今の状況の怒り、焦燥、潔癖さ。若者特有の複雑さ、破滅的孤独。
ものすごい力を持って、心の奥底へ迫ってきました。
肩が肌蹴て、長い足がすべてあらわになるような、
でも彫刻のように、美しいカリギュラ
首飾り、白い衣装を纏った姿は、知的で、上品さ誇り高さに息を呑みました。
そしてハラハラと涙は落ちます。
それはカリギュラのその苦しみのため?哀しみのため?いいえ、愛しさのために。

令和最初の日

雨はあがりました。

天皇陛下のご即位を心よりお祝い申し上げます。

新皇后様のご成婚のときのような晴れやかな笑顔が印象的でした。

令和の時代も戦争がなく平和な時代でありますように、

災害がなく穏やかな良い時代でありますように願っています。

 

さあ、令和が始まりましたね。

令和、小栗くんの第一弾は「人間失格」だと思っていたのですが、

「ダイナー」がありました。先日、予告を観たのですが、

どうしましょう(私は虫が苦手です・笑)。面白そうではあるのですが、

ホラーではないのかな?皆さんの感想を読んでから決めようかな。

これからの小栗くんは、映画「ダイナー」、映画「人間失格」、

ハリウッド映画「ゴジラ VS コング(仮)」、映画「罪の声」、

みな楽しみにしています!

映画の場合、ジャパンプレミアとか、初日舞台挨拶とかありますから、

また名古屋に来てほしいです。

ハリウッド映画「ゴジラ VS コング(仮)」については、

先にアメリカで公開になる予定なので、アメリカでのプレミア試写会があった場合、

タキシード姿の小栗くんが見られるかな?とか、

そのタキシードはあまり奇をてらったデザインではなくて、

シンプルなものの方がより小栗くんを素敵に見せると思うので、

どうかアメリカで、とびっきり素敵な小栗くんを魅せてほしいなあとか、

いろいろ思ったりしています(笑)。

令和になって、新しい小栗くんの魅力に出会えそうで、ワクワクしますよね。

では令和最初の日の一節は、シェイクスピアソネットから。

きっと令和の今年、小栗太宰を観たら、こんな気持ちになる気がします(笑)。

 

♪ シェイクスピアソネット 43番より ♪

 

私の目はしっかり閉じるほどよく見えるのです、
昼のあいだは見ているようでなにも見ていないけれど。
眠ると、夢の中で、あなたを見るのです、
闇に明るくひそかに輝きだすこの目で。
するとあなたの面影が夜の影を明るくするのです、
その実体が実際に現れたらどんなにしあわせか。
明るい昼に昼より明るい光が現れるのです、
あなたの面影は見えない目にも輝くほどだから。
生き生きとした昼の光の中であなたを見たら
(くり返し言いますが)私の目はどんなに喜ぶことか、
なにしろ真夜中、あなたの美しい虚像が
眠りに沈むもの見えぬ目に現れるだけだから。
 あなたを見るまでこの目が見る昼はすべて夜、
 夢があなたを見せるかぎり夜は明るい昼なのです。

平成最後の日

小雨が降っています。

せっかくブログをやっているので、平成最後の日に書きたいと思います。

天皇皇后両陛下、長きにわたり国民に寄り添っていただき、

本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

これからもお二人で健やかにお過ごしになられますように、

ご多幸をお祈りいたします。

美智子さまの美しい御歌が好きでした。

 

そして小栗旬くんのファンブログとしては、平成と小栗くんということで、

私は平成16年5月に映画「ロボコン」のDVDをレンタルして、

その3か月後の8月には、「お気に召すまま」(初演)を観に、

さいたま芸術劇場にいました(笑)。

それからはズブズブの沼に入ってしまって、もはや沼の住人です(笑)。

約15年、平成の半分をファンとして、見つめてこられたこと、

しかもほぼ無名の頃から、誰もが知っている俳優になるまで、

リアルタイムで見つめてこられたことは、本当に幸運で幸せでした。

高い背と美少年で儚げで華奢で、でも手に負えない雰囲気と青い色気と、

それがみるみるたくさんの花を咲かせ、

大人の色気が調べのように漂ってくるような、素敵な青年になりました。

平成の時代、小栗くんにたくさんいろんなところへ連れて行ってもらって、

たくさんの扉を開けていただきました。

特に舞台では、震えるような美しい瞬間に立ち会えたこと、

素晴らしい体験でした。人間の、芸術の、パワーに圧倒されました。

そして15年ということは、小栗くんも私も年をとりましたが(笑)、

でも長年ファンでいたことでわかったことは、

好きなことがあるということは、精神的な助けになることです。

これは小栗くんに限らず、なんでもいいのですが、

思わぬ形で助けられる、だから小栗くんのファンで居続けられたことは、

本当によかったです。

これも小栗くんがずっとずっと魅力的でいてくれたからこそですよね。

彼の心に、正直な純粋な部分が変わらずあったことは、彼自身大変だったろうけど、

信じてファンでいられる大きな要素でした。

平成時代の小栗くん、ありがとう!

そして平成の時代、ずっとずっとこのブログを読んでくださって、

コメントをくださった皆さん、ありがとうございました!

平成最後の日の一節は「お気に召すまま」婚礼の場面を選びました。

 

♪ お気に召すまま 台詞より ♪

ロザリンド(公爵に)「この身をささげます、私はお父様の娘ですから。」
 (オーランドーに)「この身をささげます、私はあなたの妻ですから。」
前公爵       「この目が真実を映すものなら、お前は我が娘。」
オーランドー    「この目が真実を映すものなら、あなたは僕のロザリンド。」

映画 罪の声 主演

よく晴れました。

小栗くん、新しい映画の情報が入ってきました!
2016年の週刊文春ミステリーベスト10で国内部門第1位に輝き、第7回山田風太郎賞を受賞した塩田武士の小説「罪の声」が映画化。小栗旬星野源が共演することがわかった。

小栗が演じるのは、昭和最大の未解決事件を追う新聞記者・阿久津英士。事件の真相を追ううちに、犯行グループが複数の企業を脅迫するために使用したテープの謎に行き当たる。星野は、京都でテーラーを営む曽根俊也役で出演。父の遺品の中からカセットテープを見つけ、そこに幼き日の自分の声が録音されていることに気付く。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の野木亜紀子が脚本を手がけ、「映画 ビリギャル」の土井裕泰がメガホンを取った。

映画「罪の声」は2020年に全国で公開される予定。

小栗旬 コメント
原作を読み終えたあと、開けてはいけないと言われている扉をあけてしまったような興奮と不安を持ったことを覚えています。
この作品を映画化するのか、これは覚悟のいることだなと思いましたが、制作チームにお会いし、皆さんの揺るぎない覚悟を伺って、その覚悟の一員にさせてもらうことを決意しました。
素晴らしいスタッフ、キャスト、そして独特の存在感を持ち、物腰が柔らかく、私自身、時折ただのファン目線で一緒に撮影していることを喜んでしまう、星野源という素晴らしいアーティストと共に作れること。そして、阿久津という人間を通して、数々の声と向き合い、寄り添い、反発しながら、真実の声を聞き逃さないように真相にたどり着けたらと思います。
時代が変わろうとしている今、それでも忘れ去ってはいけない小さな小さな声がある。
ご期待下さい。

星野源 コメント
3年前、とある作品の撮影中にプロデューサーの那須田さんと雑談していた時、この作品のストーリーを聞き、その発想と恐ろしさに激しく鳥肌が立ったのを今でも覚えています。「この役を源ちゃんでイメージしているんだ」と言って頂いた時から長い年月を経て、その役・曽根俊也を演じられることを感慨深く、嬉しく思います。そして、随分前から知り合っていた小栗くんと初めてじっくりとお仕事できること、心から信頼し、尊敬している土井監督、野木さんとまたご一緒できることも本当に嬉しく、幸せに思います。悲劇でありながらも、人間がこの社会で生きる上でとても大切なメッセージが込められたこの作品の中で、曽根俊也の悲しみと共に生き、演じていきたいと思います。

土井裕泰 コメント
「平成」から「令和」へと時代をまたいでゆくこの春に、小栗旬星野源という今を代表する2人の表現者とともに、この「昭和」の未解決事件の物語に挑める幸せと責任を感じながら日々現場に立っています。

■ 塩田武士 コメント
「平成」が幕を引き、新しい時代を迎えると、歴史に刻まれる「昭和」の皺が、また一つ深まる。
「罪の声」はフィクションであるが、モデルにした警察庁広域重要指定114号は、昭和史最大の未解決事件である。犯人グループは、関西弁のユニークな挑戦状をマスコミに送りつけ、街のあちこちに指示書を貼って身代金を運ばせるという、史上初の劇場型犯罪を起こした。

21歳のとき、私は事件に子どもの声が利用されていることを知った。犯人グループは身代金受け渡しの指示書代わりに、子どもの声が入った録音テープを流したのだ。一説には3人の子どもが関わっているとされるが、私は最年少の未就学児と同世代で、しかも同じ関西に育った可能性が極めて高い。どこかですれ違っているかもしれない……そう思った瞬間、全身に鳥肌が立ち、どうしてもこの子どもたちの物語を書きたくなった。それから『罪の声』を完成させるまで、15年の歳月を要した。

映像化は容易ではない、と考える自分がいるのは事実だ。しかし、阿久津英士役に小栗旬さん、曽根俊也役に星野源さんと伺ったとき、自分のイメージを超える配役だと膝を打った。その後、キャストとスタッフを聞くにつれ、考えうる限り最高のプロが集ったと興奮した。映画化の依頼を受けてから、プロデューサー陣の本気を感じる機会が幾度もあった。その表れの一つが、硬軟自在に物語を紡ぎ出す野木亜紀子さんによる脚本だ。

この映画は総力戦になる、という予感がある。
また、そうでなければ戦後最大の未解決事件に立ち向かえはしない。
新しい時代を迎える日本で、映画が持つ大きな力を信じて、大作の完成を待ちたい。

那須田淳(プロデューサー)コメント
昭和最大の未解決事件の犯人からの脅迫テープに使われた「子どもたちの声」──、その声の持ち主たちは今どこでどうしているのか? そのひとりが、35年後、録音された記憶はないが確かに自分の声だと知ってしまったことから始まるこの物語の「着想の凄み」に心を掴まれました。そこから紡ぎだされ織りなされていく物語の数々とその深いテーマ性に、映画作品にしたい、しなければならないと奮い立ってしまいました。フィクションとはいえ、そこに宿る悲しみや切なさを、映画を通して救ってあげたいと心から思いました。人生と世界には自分では抗することのできない宿命があり、人はそれに向き合い、立ち向かい、乗り越えていくしかありません。そのなかで自分の大切なものを知り救い出していかなければいけません。この物語の中でその使命を託すべくふたりの人物──阿久津英士と曽根俊也──は、今回この役柄を引き受けてくださった小栗旬さんと星野源さんだと、原作小説を読み終えるまでにすでに頭の中に立ち上がっていました。おふたりとはこれまでにドラマ作品でご一緒したことがあります。それぞれが、当代きっての俳優であり表現者だと、心の中でずっと多大なリスペクトとあこがれを持ってきました。長い人生のなかでも大切なことを知り向き合う年代である30代後半の彼らとともに、今の彼らだからこそ表現できる人生の大切な物語を作りたいとずっと思ってきました。おふたりだからこそ、そして、ふたりでだからこそ、普通の市井に生きる人にも立ちはだかる宿命と悲劇、そこから救い出してくれる物語をこの映画を通して生み出せると確信を抱かせてくれます。私たち制作チームは奮い立っています。是非ご期待ください。

 

これは嬉しいですね!まず星野さんとの共演が嬉しいです。

星野さんといえば「キツツキと雨」でのエンドロールの曲が思い出されますが、

あれから数年、今度は共演ということで、とても嬉しいです。

私は「逃げるは恥だが役に立つ」を楽しみに観ていたのですが、

独特の雰囲気のある俳優さんですよね。

その「逃げ恥」の脚本を手掛けられた野木さんが脚本を担当されることも、

とても嬉しいです。

脚本、脚本ですよね。脚本が大事であることはいろいろな作品を観ては、

身に染みているので、今回は原作も評価されたものですし、

それをどのように脚本にされたのか、楽しみにしています!

原作者の方の言葉も凄く心強いですね。

この事件、私はリアルタイムで見ていたので、この子供の声に衝撃を受けたことを、

よく覚えています。

小栗くん、社会派の作品が続きますが、ビジュアル的にも細身で短髪、お髭なしで、

とても素敵なので、凄く楽しみにしています!

こうやって年相応の役というか、だんだん今までと違った分野から、

声がかかるようになって、それもとても嬉しいことですね。

 

♪ お気に召すまま 台詞より ♪

シルヴィアス「恋とはきまぐれな空想でできてるもんだ、
       激しい情熱と切ない願望でできてる、
       あこがれと敬意と心遣いでできてる、
       謙遜と忍耐とあせりでできてる、
       純潔と試練と従順でできてる、
       いまのおいらがそうだ、フィービーが恋しくて。」
フィービー 「あたしはギャニミードが恋しくて。」
オーランドー「僕はロザリンドが恋しくて。」
ロザリンド 「僕は女じゃない人が恋しくて。」
フィービー 「恋がそういうものなら、どうしてあなたに恋しちゃいけないの?」
シルヴィアス「恋がそういうものなら、どうして君に恋しちゃいけないんだ?」
オーランドー「恋がそういうものなら、どうしてあなたに恋しちゃいけないんだ?」
ロザリンド 「誰に言ってるんですか、どうしてあなたに恋しちゃいけないんだって?」
オーランドー「ここには居ない人、聞いてもいない人に。」

 

オーランドーとカイユス

曇り空です。

このブログが「風色の椅子 第二楽章」になってから、

いつも最後に、思い出の作品の感想とか、台詞の一節を書いているのですが、

今年は「お気に召すまま」と「カリギュラ」でいこうと思っていた矢先、

「お気に召すまま」は坂口健太郎くんで、そしてなんと「カリギュラ」を菅田くんで、

上演するという情報が入ってきました。

そうか~って思って(笑)、もう少し後でもよかったんじゃないかなと思ったら、

小栗くんが演じてから、もう12年も経っているんですね。

それならこういうお話が来るのは当然かもしれません。

でもでも私にとって、

「お気に召すまま」は初めて小栗くんを生で観た大切な舞台でしたし、

カリギュラ」は、上演後、感動と涙で椅子から立ち上がれなかったのは、

後にも先にもこの舞台だけでした。

本当に本当に素晴らしくて、演劇の力をまざまざと感じました。

あのカミュ+蜷川さん+小栗くんの置かれた状況+24歳の彼の息を呑むような美しさ、

これらがあまりにもぴったり嵌って、まさに奇跡のような壮絶な美しさの舞台でした。

マイク等、人工的なものを通さず、ただ空気の中を伝わってきた、彼自身の声。

シピオンに詩作について尋ねる優しい声、

最後の最後になって、エリコンを呼ぶ声。

そしてその美しい姿。

立つ、歩くってこんなにも美しい。気高く、まっすぐで綺麗で、

そうかと思うと、うづくまったときの手首の細さ、

セゾニアにしがみつく、細くて長い指。

傲慢で、残酷で、知的で、繊細で、脆くて、

小栗くん自身が持つ、痛々しいのだけど、生々しくない、

どこか乾いていて、しかし叙情的なもの。

そこへ青年期特有の、ゆらめき、怒り、切なさが加わって、

本当に心奪われました。

当時、突き放たれた短編の詩のようなカリギュラだったなあって、

思ったことを覚えています。

それからとにかく台詞が美しくて、翻訳された岩切さんの戯曲はもちろん、

詩集も買ってしまうほどでした(笑)。

その台詞については、あの当時「LOOK at STAR」という雑誌で、

小栗くんと蜷川さんが対談をしています。

 

蜷川「でもセリフが詩だろ?どこをとっても美しいよな」
蜷川「それは天性の才能だと思うんだけど、おまえはたとえ古典のセリフを喋っても、
   ある種の日常的なリアリティがくっ付いてくるんだよ。
   本人の前では癪だからあんまり言いたくないんだけど(笑)。
   発声も含めて、相手の心に柔らかくスッと入っていく」
蜷川「大の男が“月がほしい”とかさ。そんな言葉に説得力を持たせるって、
   大変なことだと思う。小栗はその点、まず見た目がいけるだろ」
小栗「カリギュラは自分が美しいことを自覚してて、だから愛されることも、
   利用したし、そういうところで自分が愛されることに、
   苛立ちも感じているような気がして」
蜷川「だから憧れるし共感するんだ、カミュの世界に。
   繊細で傷つきやすいけど、虚無に通じるほど明るいからね。
   カミュがフランス人だからかな。南仏の日差しのように、
   透明度の高い暗さなんだ。そこが昔から大好きでね」
蜷川「俺が生きている内に、小栗を天下無敵の俳優にするよ」

 

最後の言葉は、本当に本当に嬉しいですよね。泣きたいほどに・・・。

小栗くん、またちゃんと古典を演じてほしいですよね。

そして蜷川さんのお好きな南仏の日差しは、

実は小栗くんの中にあるものではないかと思ったりします。

小栗くんの中にある、ある種独特の明るさはこれに値するのではないか、

それが今はポップな方へいっていますが、

古典にも、特にヨーロッパ系の古典に、よく合うのではないか、

蜷川さんの目は確かで、蜷川さんの愛に育まれた小栗くんですから、

本当に本当に、また彼の魅力全開の古典を観てみたいです。

しかし12年前に観た、オーランドーもカイユスもまだまだ鮮明にそれは美しく、

私の心の中に息づいています。

その当時の小栗くんへの想いもまた甦ってきました。

あの当時、リアルタイムで生で観られた、その幸運に感謝します。

ではいつものように最後は、先日の「お気に召すまま」の台詞の続きを書きますね。

 

♪ お気に召すまま 台詞より ♪

ジェイクイズ「君の最大の欠点は恋をしていることだ。」
オーランドー「その欠点だけは、あなたの最高の美点とだって取り替えたくはない」

 

ロザリンド 「さあ、あたしを口説いて、口説いて、今のあたしはお祭り気分、
       すぐにいいわと答えるわ。さあ、あたしにどんなことが言いたいの、
       あたしがあなたのほんとのほんとのロザリンドだとしたら?」
オーランドー「何か言う前にキスしたい」

 

オーランドー「誰の思いだってみんなそうさ、羽が生えてるんだから。」