風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

舞台と映像

雨が激しく降ったり、止んだりしています。
この間もちょっと書いたんですが、小栗くんは舞台と映像、どのくらいの割合で、
これからやっていくのかなあって思っているんですが。
舞台は「間違いの喜劇」の福岡公演で、声が出るようになって、
これからますます演技の幅が広がるだろうし、
「タイタス」英国公演で自信をつけて、可能性は限りないと思います。
本人ももっともっとって思っているだろうなあって思います。
でも舞台だけの俳優さんになってしまうと、地方の身としては辛いんですよね(笑)。
私は小栗くんの映像も、とても魅力的だと思っています。
映画で、凄い!と思ったのは、「イズ・エー」の勇也です。
これは私の個人的な意見ですが、
あの勇也だからこそ、あの「イズ・エー」の雰囲気になったのだと思います。
最初に観たときは、内容が非常に重いのと、
父親役に感情移入してしまって、もうボロボロだったんですが、
やはりあの勇也という役がとても難しかったと思うんです。
まず不良というわけではない、父親にあからさまな反抗もしていない。
でも残酷さ、澱んだ影がある。しかし、愛されるべき面影もある。
その上、幼さ、切なさ、儚さもあって、少年の危うさに美しさもある。
その繊細な狂気、まるでその時を生きていないような浮遊感は、
小栗くんにしか出せなかったのではと思いました。
だから得たいの知れない勇也の雰囲気は、すごく伝わってきました。
監督も小栗くんに助けてもらったと、仰っていましたし、
一緒に共演した津田寛治さんは対談で、
「50年にひとりくらいの逸材ですね」と言っていました。
「三桁かな?って一瞬思ったけど、50年って言っちゃった(笑)」とか、
あとから付け加えてましたけど、小栗くんは感謝してました。
そうそう、最近「キレイ」「美しい」と思ったものという問いに、
「小栗くん」と答えてくれてもいましたね(笑)。
映像も舞台もですけど、いかに作品に恵まれるかということもありますよね。
よく彼が言う、“この役は「小栗旬」にしか出来なかったという役に出会いたい。”
という言葉。舞台も映画もまだまだこれから先チャンスはたくさんあると思うので、
いい作品、いい役に出会ってほしいです。
でも密かに「オーランドー」こそ、小栗くんが言う、
彼にしか出来ない役のひとつだと思っているんですが(笑)。