風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

Weekly ぴあ 小栗旬の時代

薄曇で、寒いです。
こちらの地方では、昨日、発売されました「Weekly ぴあ 中部版」買ってきました。
12ページ特集の、小栗旬の時代!という、あの話題の雑誌ですね(笑)。
本当に丁寧に、特集されています。
表紙は小栗くんのイラストで、首はもちろん顎のあたりまで包帯を巻いていて、
髪の先に鈴虫?がとまっています。深読みすれば(笑)、
いろいろ傷ついていて、しかもきつく巻いてあるので、プレッシャーがかかっている。
眼差しは真剣で、でも実は、その鈴虫のように、いい音色を聴かせてくれている。
そんな感じでしょうか(笑)。内容は、
小栗旬の轍を読む(小栗くんの連続ドラマ、映画、舞台の歴史) 2ページ。
小栗旬という生き方 4ページ。
小栗旬×演劇 2ページ。
小栗旬×映画 2ページ。
小栗旬という才能 1ページ。
そしてやはりなんといっても、「カリギュラ」の稽古風景の写真に、
心掴まれます。もうなんというか、この写真を見ただけで、
この「カリギュラ」のパワーを私は受け止められるだろうかと思うくらい。
その圧倒されるような写真、でも崩れ落ちそうな、
脆くて、幼子のような写真もあって、ものすごく振り回されそうですが、
早くその世界に浸りたい思いで、いっぱいになってきます。
では、ここからは印象的な言葉を。


小栗旬という生き方より。
「つまり小栗旬自身、「生きるのが大変なタイプ」だと告白しているのだ」
「やりたくなかったことをやってる自分を許していいのかな、って思った・・・」
「でも大丈夫。そこからまた、いま這い上がり始めているところなんで」


小栗旬×映画より。
鬼才・三池崇史が語る、映画俳優・小栗旬
「滅多に出会えない俳優」
「まだ世間的には小栗旬の魅力はほんの一部しか見えてないんじゃないかと、
 思いますね」
「逆に今、彼にとって唯一の精神的逃げ場は蜷川さんの舞台なんじゃないかと、
 思うんですよ。なにしろ感情を剥きだしにして、
 それをライブな空間でできるわけですから。
 逆にもしそのはけ口を封印してしまったら、彼は役者としてどうなるのか。
 そうしたらもっとすごいことになるんじゃないかって気が僕はしているんですけどね」


小栗旬×演劇より。
「今、いろんなことに絶望し始めている時期なんです」
「お互い似てると思います。愛しているけど(笑)」
演出家・蜷川幸雄が語る、役者・小栗旬の実力
「悪そうで、オシャレでかっこいい。叙情もある」
「俺は小栗のそんなところに同類の匂いを嗅いでいるんだよ」
「今回の「カリギュラ」は小栗のために立てた企画だからね」
「つまりメインカルチャーを充分に扱える俳優にしたいんだ」
「小栗は今の自分の人気が虚妄だってわかっていて、もっと本質的な、
 俳優になりたがっている。今回の「カリギュラ」では、苛立ちや孤独、
 他者を求める気持ち、外れていく人間の悲しみ、それでいながら本当の自分を、
 求めていくという男を演じる。それは今の小栗の世界そのものなんだよ。
 だから、舞台を通じて、いま小栗旬が本当に作りたがっているものを観てほしいね」


三池監督の言葉は、考えようによっては、小栗旬という才能を、
舞台と映像で、取り合っているようにも思えます。
それだけ、惹かれるということですよね。まだまだ、もっともっとと、
思わせる魅力がある俳優さんなんだって思いました。
でも映像だけに持っていかないでほしいです(笑)。
そして蜷川さんの言葉。
“それは今の小栗の世界そのものなんだよ。” 感動しました。
やはり巡り会うべくして、「カリギュラ」とは巡り会っているのだなあって、
運命的というか、この時期に、この状態のときに、
カリギュラ」がきたことが、凄いことですよね。
役に巡り会うタイミングってありますよね。
本人にとっては苦しい感情も、負の要素も、
すべて舞台に昇華されて、芸術の花が咲くのだと思います。
どんな「カリギュラ」が小栗くんによって、演じられるのでしょう。
小栗くんは、どんな「カリギュラ」を生きるのでしょうか。
本当に楽しみですね(もう何度も書きました・笑)。
それから小栗くんに対して、蜷川さんの、
「悪そうで、オシャレでかっこいい。叙情もある」
この言葉が小栗くんをよく表していて、特に、「叙情もある」が好きでした。