風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

カリギュラとシピオン

晴れていますが、風が冷たいです。
いつもの若村さんのHP、小栗くん、横田さんからの要望が書かれています(笑)。
http://www.syunca.com/private_cafe.cgi#
可愛い二人ですね(笑)。若村さんも素敵です。
毎日新聞の「カリギュラ」の劇評が出ていました。
http://mainichi.jp/enta/geinou/archive/news/2007/11/19/20071119dde018200059000c.html
この毎日新聞の劇評が、私が感じたものととても近いです。
特に、無垢な魂が〜のところ。きしむような孤独〜のところ。
今までの他の劇評もまとめてみますね。
シアターコクーン
http://www.bunkamura.co.jp/shosai/topics_co_071109s.html
朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/stage/theater/TKY200711130286.html
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20071114et05.htm
すべてほとんど高い評価で、とても嬉しいです。
座長公演としては、たくさんの観客の方に観ていただいて、感動していただいて、
そして好評を得るというのは、とても喜ばしいことですね。
それでは、毎日新聞の劇評を読んでいたら、やはりカリギュラとシピオンの、
シーンについて、どうしても書きたくなったので(笑)、
カリギュラ」のパンフレットのことも含めて書きたいと思います。
ネタバレになりますので、読みたい方だけお願いします。

















毎日新聞の劇評に、
「狂気そのもののようなカリギュラの行動の下から、
現実にいらだち続ける青年の無垢な魂が透けて見えてくる。
父を殺されながら、詩人シピオンが彼を理解するのはそのためだ」とありますが、
まさにそのとおりで、その理解した、精神の、心の結びつきを感じたシーンが、
私が涙を止められなかった、カリギュラとシピオン、二人抱き合いながら、
詩を交互に口ずさむシーンだと思うのです。
私は17日の感想に、「身を切るような純粋さ」と書きましたが、
自分でもどうしてこんなに涙が流れるのが、わからなくて、
哀しい涙、でも幸せな涙でもあるんだなあって。
それはシピオンに感情移入しているからですね。
シピオンが詩の一節を言うと、その後に続いて、カリギュラがその続きを言います。
「どうして」驚くシピオンをさらに抱きしめながら、
わからないと言いつつ、結局、僕たちが同じ真実を愛しているからではないか。
それはまずシピオンは自分の詩というものを、認められた喜び、
そして自分を認められ、カリギュラの中に、シピオンがいて、
シピオンの中にカリギュラがいるという、
そして、あんなに狂気そのものの行動をしているカリギュラから、
ものすごく純粋なものを感じたんですよね。その純度の高さにまた涙し、
また詩が、とても美しく澄み渡っていくような詩で、
それを抱き合いながら、二人で交互に語り合う、本当に美しいシーンでした。
二人の美しい若者のあまりにも純粋で、
あまりにも哀しくて、あまりにも幸福で、
たとえそのあとに突き落とすような台詞が待っていたとしても、
あの美しさを目の当たりにして、心が精神が結びつく瞬間って、
こういうことなんだって思いました。
「パンフレット」の中には、その稽古を見て、
“劇中歌と詩人役の月川悠貴も、「久々に芝居を観て泣いた」と眼を潤ませた”と、
書かれていましたが、小栗くん、勝地くんで、自主的に会って、
このシーンを練習したとか、素晴らしいシーンになるはずですよね。
個人的には、戯曲を事前に読んでいかなくてよかったです。
このシーンはとても私好みのシーンなので、もし読んでいったら、
このシーンのためだけに観てしまいそう(笑)。
美しい若者二人が、抱き合いながら、詩を交互に語りあうなんて、
カミュ、ありがとう!っていうくらい好きなシーンです(笑)。
それを小栗くんの口から聞けるなんて、小栗くんが演じてくれたなんて、
もうこれ以上のことはないなあって、本当に、心に響く、清冽な美しいシーンでした。
透明な身を切るような純粋さと、二人の心が重なり合う様子が、
目に見えないのに、見えているようで、あの詩はずっと歌のように聞こえてきます。
この思いを知ってしまったシピオンは、
たとえそれから、どんなに残酷な言葉を浴びせられようとも、
カリギュラを愛することを、やめることは出来なかったと思います。
カリギュラ」はもうあれから毎日、私を悩ませます(笑)。
「パンフレット」は、読み応えがあるものでした。
蜷川さんのインタビューでは、小栗くん、絶賛されています。
「格好よくてファッショナブルで、楽屋の廊下に彼が立っているだけで、
そこだけ違う空気が漂う。態度は生意気だけど根はナイーブで(笑)。
芝居がうまくて微妙な揺らめきが出せるし、喜劇的なところも出せる」
「アイツはね、ほっとけばグチュグチュ言って、外れたところにいるんだよ。
もったいないから、引きずり出して蹴飛ばすんだ(笑)」
はい、引きずり出して蹴飛ばしてくださいって感じですが(笑)、
蜷川さんの言葉は、いつも愛情がとても感じられて、とっても嬉しいですよね。
すごく好きです。
岩切さんのインタビューでは、この一節が印象に残りました。
カリギュラというのは、一般的には理解できない破壊的な人物ですよね。
それを理解するための視点を考えたんです。一つがシピオンが代表する“芸術”。
ケレアはある意味では文人政治家として反抗するという立場で、“論理”の人です。
そして女性を代表するセゾニアの“愛”。
この三つの視点からカリギュラを理解する」
「結局、カリギュラを殺す論理の人は生き残り、理解する芸術と愛は、
死ぬにしても遠くに行くにしても、敗北する。
しかしその負けることによって、人の心に残っていくんですね」
カミュ作品ということで、いろいろ読んでも理解出来ないことも、多々あるんですが、
これらの言葉はなるほどと思いました。
他に横田さんのインタビューの中の、
「詩的なせりふを頭で考えるより心で感じたいです」
「“心の中に詩を持っていなさい”と言われたことを思い出します。
蜷川さんにもよくランボーの言葉を引いて“役者は心の中に怪獣を飼っていなさい”と、
おっしゃいますしね」
当たり前ですが、こうやって、ランボーの言葉が行き交う現場に、
小栗くんはいるんだなあって思うと、それだけで羨ましいです(笑)。
若村さんのインタビューでは、
「小栗君のカリギュラは、稽古をしていても、“今、彼がやるべくしてやる役”という、
説得力を感じます。若さ、破壊力、美しさ、純粋、可愛げ・・・」という言葉が、
嬉しかったです。
他に「助走〜稽古場15DAYS」というページが、8ページあって、
稽古の様子の写真がぎっしりあり、1日1日の様子が書かれています。
その文章からは、とても熱いものが伝わってきました。
写真をよく見ると、蜷川さんが女装した小栗くんの前で、マニュキュアを塗っていて、
二人して笑い合っている写真とか、やはり稽古の写真を見ても、
小栗くんのカリギュラのいろんな表情、眼差しに心を持っていかれます。
15DAYSの文章はどれも興味深く、稽古後、蜷川さんが氷嚢を小栗くんの、
首筋に当ててあげていたということが書かれていたり、
印象的な言葉は、この一節。
「蜷川は“自分が作品、俺は詩だと自信を持って”とも言った」
そして詩という言葉はたくさん出てきて、ずっと詩が好きで、
わかるわからないにかかわらず(笑)、いろいろ読んできたものとしては、
やはりこのカミュの戯曲が、とても詩的で、それがまずものすごく惹かれました。
小栗くんはカリギュラとして、ひとつの詩になるんですよね。
その詩は、今まで出会ったことのないような、
激しく、苦しく、そして溺れるほど美しい魅力的な詩でした。