風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

運命的な出会い

朝は晴れていましたが、雲ってきました。
本屋さんへ行ってきました。
週刊朝日
表紙とカラー1ページ。その表紙がとても素敵だったので。
中の写真は足が長いなあという写真です(笑)。
「週刊ザテレビジョン
カラー2ページ。ドラマ最新オフショットということで、
ボサボサ髪の一美くんのアップがぽわんとしていて、とても可愛かったので。


そして「プラスアクト 2008 VOL.14」
“新企画 play act 小栗旬の叫び。「カリギュラ」との日々、その全て。”として、
舞台写真が、カラー3ページ。木俣冬さんの文が、3ページ。
まず、見開きで舞台のいろいろな写真が載っています。
それですでに胸がいっぱいなのですが、そのぎっしり書かれた文の中の、
1カットの写真のカリギュラの目が、またとても心掴まれるもので、
そして木俣さんの文章を読んで、本当に、胸が詰まりました。
最初の文に、
“どうしても、伝えたかった。小栗旬はブームなんかじゃない。イケメンとも違う。
常に芝居という言葉を口にする暑苦しい役者だ”と書かれていて、
「暴君カリギュラとして生きた小栗旬
「論理対感性」「視線の自覚」「演技と怒り」というサブタイトルがついています。
興味深かったのは、カリギュラはいつも叫んでいるが、
あまり上を向いていないということに対して、
「リアルじゃないから、上を見てしゃべるのは嫌い」という話から、
カリギュラが殺される場面で、一番最後に上空を見上げるのは、
“殺されて意識が朦朧としていて、月が見えたような気がして、
もう少しで手が届きそうだって思っていると考えて演じている”というところ。
それから様式的に演じるという話になっていくのですが、
これはそうなんだって、感心しました。
それからシピオンとのシーンでの、
“最初は同性愛的な雰囲気を出そうとしていたんですよ。
でも蜷川さんが甘くするなって言うから悩んじゃって”というところ等々。
そういうお芝居の突っ込んだ話から、
カリギュラ」稽古中から、大楽が終わった後のことまで、
舞台時間が細かく載っていたり、途中、倒れたことも。
やっぱりそういうこともあったんですね。
そしてカリギュラを演じていたときの、
小栗くんの心情的なことが凄く細かく書かれています。
ずっと見てこられた木俣さんならではでしょうか。
小栗くんがより剥き出しになって伝わってきます。
それは不機嫌さだったり、傲慢さだったり、でも言っていることはもっともで、
正直で、苦悩していて、抵抗して、反発して。
カリギュラという姿を借りて、小栗くんが喋っているのか、
小栗くんの姿を借りて、カリギュラが喋っているのかというような。
しかし気遣いの人で、お芝居に対して、一生懸命で、熱心で、というよりも、
わき上がるものが抑えきれない様子は、すごく伝わってきました。
ーお疲れさまでした
「どうだった?」
ー良かったよ。何回も観たけど、最後、泣けたよ
「そう、良かった・・・」
最後の大楽が終わった後の様子は、涙が出そうでした。
あの大楽でのカーテンコール、目に浮かびます。
何度も書いていますが、カリギュラとの出会いが本当に運命的で、
出会うべきして出会ったというか、蜷川さんはある時、ふいに、自宅の書棚から、
カミュのこの戯曲をみつけたらしいのですが、
いろいろすべて負の部分も含めて、小栗くんのあの状態のあの時だからこその、
カリギュラ」だったんだなあって思いました。
役者さんって本当に凄いですよね。
命も精神も削って、身をささげて、表現していくんですね。
だから深く深く伝わってきました。これほど伝わってきたのは、
あの24歳の小栗くんのカリギュラだったからだと思います。