風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

その身体から、心から、魂から、透ける古典

今日は綺麗に晴れました。
konakoさんから教えていただきました(ありがとうございます)。
雑誌情報です。5月1日発売。+act.
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=R0341992
5月10日発売。POPEYE(ポパイ) 6月号
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailZasshi?refShinCode=0900000004910180290688&Action_id=101&Sza_id=LL
また雑誌が続々きそうですね。


さてなんだか、昨日、また「カリギュラ」を観てしまいました(笑)。
私は2004年5月に、レンタルビデオの「ロボコン」を観て小栗くんを好きになって、
そしてその8月に「お気に召すまま」(初演)を観に行くことになるのですが、
すでに公演のチケットは発売されていて、追加公演で、滑り込みで観に行きました。
5月に好きになってから、それほどものすごくファンというわけではなかったんですね。
でも何故8月に、それも東京まで、追加公演を観に行ったのかというと、
それはシェイクスピアの「お気に召すまま」だったからなんです。
昨日、「カリギュラ」を観ていて、そうだ、小栗くんの口から、
ああいう古典(カミュは新しい方ですが)、シェイクスピアとか、
そういう台詞を聞きたかったんだって思いました。
たとえば、若いヴァイオリニストが、バッハを、チャイコフスキーを、
メンデルスゾーンを、どういう解釈で弾くのか、そういう楽しみってありますよね。
それと同じように、若い小栗くんがどういう解釈で、その古典を理解し、咀嚼して、
私たちに届けてくれるのか、それも楽しみのひとつなのかなあって思います。
そんな小栗くん、今年はやはり舞台に立たないのでしょうか。
私がファンになってから、その年に小栗くんが舞台に立っていない年は、
ないんですよね。これから耐えられるかなあって、ちょっと不安です(笑)。
あの舞台での、胸に手をあてたお辞儀を、1年間見られないだけでも悲しいです。
ちゃんと役者として、舞台に帰ってきてくれますように。
25歳、26歳、27歳の小栗くんが、どんなテンポでそのメロディを弾いてくれるのか、
このクレシェンドを、デクレシェンドをどのような大きさで弾くのか、
レガートはどんなにうっとりと弾いてくれるのか。
24歳のカイユスのように、絶対にその年ならでは表現があるはずです。
若く美しい青年の、その身体から、心から、魂から、透ける古典に、
溺れさせてください。


「そうだ。セゾニア!
この自由がなかったら、俺は満ち足りた男になっていただろう。
この自由のおかげで、俺は神のように見通す、孤独な男の目を獲得した。
俺は生き、俺は殺し、破壊者の狂乱した権力を、行使する。
それを前にしては、創造者の権力など猿芝居に見える。
幸福であるとはこういうことだ。幸福とはこれだ。
この耐え難い開放感、あらゆるものへの軽蔑、俺のまわりの血、憎しみ、
自分の人生を眼下に支配している男の比類なき孤立、
罰を受けない暗殺者の常軌を逸した喜び。人間の命を砕く情け容赦のないこの論理。
おまえの命を砕く論理でもあるセゾニア。
そしてついに、欲しくてたまらない永遠の孤独を完成させるんだ!」