風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

24歳の美しく愛しい彼

毎日暑いですね。
はなここさんが、BBS(No.2239)にて、「花より男子ファイナル」東京での、
舞台挨拶の様子を報告してくださいました。ありがとうございます。
読んでみてくださいね。
もう松本くんと小栗くんの仲は、冗談ではすまないと思います(笑)。
トントンの「僕も横にいたのに」も可笑しいです。
その「花より男子ファイナル」大ヒットの記事です。
http://www.varietyjapan.com/news/movie_dom/2k1u7d0000060kjh.html
本当に凄いですね〜。こうなったら、興行成績の記録を塗り替えてほしいですね。
そしてこの写真の小栗くん、素敵です!


さて明日「カリギュラ」のDVDは届くでしょうか。
あの去年の24歳の小栗くんを思うとき、身体も心配しましたし、
本人もとても大変だったので、二度とあのような1年は送ってほしくないと思いつつ、
でもあの1年だからこその魅力はありましたよね。
ぎりぎりな研ぎ澄まされた、あつらえたように、
すべてが「カリギュラ」へ、向かっていった日々。
もちろん時間をかけてじっくり取り込むことが、ベストだと思うのですが、
時間をかけたら、かけただけいい作品が出来るかというと、そうではないと思います。
そこがまた芸術の面白いところですが、かえっていわゆるマイナス部分が、
いいものへ繋がっていく場合もあります。
蜷川さんがずっと小栗くんへと考えていた「カリギュラ」。
24歳でその「カリギュラ」に巡り会えたこと。運命を感じます。
小栗くんは、24歳でそのカリギュラを演じるべきだったという説得力に溢れ、
たとえ再演になっても、あの24歳のカリギュラの魅力は、色褪せないと思います。
若く、美しく、理論的、破滅的で、そして愛しいカリギュラ
美しく詩的な台詞は、降りしきる雨のように、身体に沁み込み、
跪いて、顔を覆って泣きたくなるような衝動にかられます。
パンフレットの中に、昨日書いたランボーのことが少し出てくるのですが、
横田さんのインタビューより。
「詩的なせりふを言う時は、頭で考えるより心で感じたいです」
北村和夫さんに“心の中に詩を持っていなさい”と言われたことを思い出します。
蜷川さんもよくランボーの言葉を引いて“役者は心の中に怪獣を飼っていなさい”と、
おっしゃいますしね」
パンフレットには、翻訳された岩切さんのこういう言葉も。
カリギュラというのは、一般的に理解できない破壊的な人物ですよね。
それを理解するための視点を考えたんです。一つがシピオンが代表する“芸術”。
ケレアはある意味では文人政治家として反抗するという立場で、“倫理”の人です。
そして女性を代表するセゾニアの“愛”。
この三つの視点からカリギュラを理解する」
「結局、カリギュラを殺す倫理の人は生き残り、理解する芸術と愛は、
死ぬにしても遠くに行くにしても、敗北する。
しかしその負けることによって、人の心に残っていくんですね」
そうです。ずっとずっと残っていくのです。
24歳の美しく愛しい彼は・・・。