風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

彼だけは、おまえが過ぎ行くときも手をふれず

雲っていましたが、晴れてきました。
mikimiki さん、ほ子さんから教えていただきました(ありがとうございます)。
11月13日発売の「少年チャンピオン」より、
映画「クローズZERO」が漫画化、連載されるそうです。読んでみてくださいね。
私は今はもう漫画は、「のだめカンタービレ」しか読んでいないのです。
萩尾さんとか、竹宮さんとか、とても熱心に読んでいた頃もあったのですが(笑)。
さてもう10月も終わりに近づき、あと2ヶ月なんだなあとか、
結局、わかっていたことですが、今年は舞台がありませんでしたね。
2004年 お気に召すまま
2005年 偶然の音楽
2006年 間違いの喜劇 タイタス・アンドロニカス
2007年 お気に召すまま カリギュラ
私が小栗くんの舞台を見始めてから、舞台がなかった年は初めてでした。
「ムサシ」がありますからね。それを楽しみにしていればいいのですが、
今年は「ロミオとジュリエット」の年でしたよね〜(笑)。
若く美しいときって、ものすごく貴重だと思うのです。
あのシェイクスピアでも、シェイクスピアソネットの中で、
一説によると、前半部分は、美しい青年貴族に対して、
書かれたのではないかということですが、
その若き青年貴族のその美しさをどうやって閉じ込めるか、
もうシェイクスピア、必死です(笑)。
自分の詩の中に閉じ込めようとして、
“あなたに宿る美しさは失われることもなく〜
あなたが永遠の詩の中で、時と合体しさえすれば〜
この詩は生きてあなたにいのちを与え続けるでしょう。”と詠っていますし、
ソネット19番ではこう詠っています。


すべてを貪りつくす「時」よ、獅子の爪を鈍らせ、
大地におのれの生んだいとし子を食らわせるがいい、
獰猛な虎の顎から鋭い牙を抜きとり、
長命の不死鳥を生きながら焼くがいい。
足の早い「時」よ、過ぎ行きながら季節を
楽しくも悲しくもするがいい、広大な世界と
そのうつろいやすい美に存分に手を加えるがいい、
ただ一つ、もっとも忌まわしい罪を犯してはならない、
わが愛する人の美しい額におまえの時間を刻み、
おまえの年古りしペンで線を引いてはならない、
彼だけは、おまえが過ぎ行くときも手をふれず、
のちの世の美の鑑として汚してはならない。
 だが老いた「時」よ、おまえがどんな害を及ぼそうと、
 わが愛する人はわが詩の中で永遠の若さを保つだろう。


やっぱり今年も、生の舞台で演技をしている小栗くんを観たかったですよね〜。
年を重ねたら当然、それはそれでまた違った魅力が出てくると思うのですが、
この二十代しかない魅力があると思うのです。この1年1年が貴重です。
情熱大陸」のDVDの中で、「カリギュラ」へ向かっていくときも好きですが、
「いきますか〜」と頭に布を巻きながら、
オーランドーとして、出て行くところもとても好きです。
ああ、これからオーランドーとして、あの通路を駆け上がっていくんだなあって。
舞台って不思議なんですが、生身の人間が演じているのに、
リアルではないというか(作品にもよりますが)、想像を掻き立てられて、
アーデンの森は深く深く、その木漏れ日は風に揺れ、
羊飼いの家はあのあたりにあって、
幸せなダンスはずっとずっと続いていくんだなあって思いますよね。
その中で、息づく人々は、なんと美しく輝き、そのときを生きているのでしょう。
そしてまた小栗くんのそれはそれは美しいこと!
外見も、顔が小さくて、背が高くて、スラッとして、足が長くて、
立ち姿に惚れ惚れしてっていろいろ思いますが、
なんといってもその纏う空気というかオーラというか、
それがとても美しいんですよね〜。
絶対ありえないですが、生の舞台に立つ小栗くんを、
小栗くん自身に見てほしいくらいです(笑)。
本当に綺麗な子だなあ、美しい子だなあと思います。
この間、「花ざかりの君たちへ」SPを見ていて、
ジュリア役の美波さんと、一対一のお芝居になったとき、
そういえば、美波さんも、このブログの中で、
ジュリエット候補にあがっていたなあと思って、
どうにか二十代のうちに、ロミオを演じていただきたいです。