風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

ムサシ 2回目 感想

曇り空です。
greenさんから教えていただきました(ありがとうございます)。
やべさんの出演された舞台が千秋楽を迎えられたそうで、
やべさんのブログに、小栗くんから贈られたお花の写真が出ています。
http://blog.livedoor.jp/yabesuke1112/
やべさん、初舞台でしたから感慨深いでしょうね。
「ムサシ」を観劇された感想を、6日のコメント欄に、minharuno さん、
ちしゃ猫さんが書いてくださいました。ありがとうございます。
読んでみてくださいね。小次郎の和服姿、素敵ですよね。


そして私も昨日7日マチネ、「ムサシ」2回目を観に行ってきました。
あいにくのお天気で、雷雨の中を帰ってきたのですが、
大阪は、なんとなく、まわりの方々が皆大阪弁で(当たり前ですね・笑)、
大阪に来たんだなあと思います。
私が観たさい芸のときよりも、昨日は、とても女子率が高かったように思いました。
手拍子については、事前に「ご遠慮ください」というアナウンスはなく、
あのシーンは、手拍子は起こりませんでしたが、拍手が起こっていました。
カーテンコール、小栗くんは、藤原くんと顔を見合わせて、ニコッとしたり、
最後は、頭の上で、大きく手をクロスさせて、広げる感じ(わかります?笑)で、
ササッと手を振っていました。
それでは、また少し感想を書きたいと思いますが、
ネタバレを含みますので、読みたい方だけお願いします。







ムサシ


実は1回目の「ムサシ」を観たときは、ほとんど前情報を入れずに、
観に行ったにもかかわらず、あれ?という感じで(笑)、
こういう感じのお芝居になるとは思っていなかったので、
でも2回目は、1回目より心に沁みてきた感じがしました。
さい芸のときよりは、ずっと後方の席だったのですが、舞台全体が見られて、
絵画のように美しい舞台、ゆれる竹林、ゆらめく光、影、とても綺麗でした。
あの五人六脚は、小次郎は宗矩の扇子を取り上げ、
顔を隠したり、隠されたり、よく見ると、くんずほぐれつにも、
ちゃんと順番があって、なにげに、はい、という感じで、また小次郎が宗矩に、
扇子を返してあげるところが可笑しかったです。
一番、二番の話になって、武蔵の得意げの笑顔も秀逸で(笑)、
あ、タンゴのシーンは、今回は、小次郎さまはお笑いになっていませんでした(笑)。
あいかわらず小次郎が思わず泣いちゃうところは可愛かったし、
遠くからみても、剣の型を教えるその姿は、とてもビジッと決まっていて、
美しかったです。青い着物に白い襷、鉢巻も映えていました。
そして小次郎はフェミニストというか、女性に優しいですよね。
まいさん、乙女さんについ差し出す手とか、庇う手とか、
優しいなあって観ていました。
何度観ても、第十八位のところは可笑しくて、
武蔵、小次郎の間に友情が芽生えていくところは、温かい気持ちになります。
そして昨日は、よく通る杏ちゃんの声に惹かれました。
混じりけのない涼やかな清らかな声で、
あの恨みの鎖を断ち切るという台詞が、とても心に響いてきました。
それから最後、平心さんの台詞、大石さんの声は、晴れやかに柔らかく優しく、
つつましく生きていく美しさを説いていて、少し涙が滲みました。
そしてやはり井上ひさしさんの、書き下ろし、しかもあて書きということで、
どうしても今、何を伝えたかったのだろう、彼らを見て何を感じたのだろうと、
考えてしまいます。
武蔵、小次郎は、昨日もそれは生き生きと美しく板の上を楽しんでいました。
そんな彼ら、小栗くん、藤原くんという、
若く、キラキラと、まるで躍動する生の証のような、
生というものの真っ只中にいる二人の、この眩しいような煌めきを、
それは年を重ねるものに対しては、眩しすぎるような光を、
きっと大事に大事にしたかったのではないか、と、
昨日はそんなことを思いました。
それでは、「すばる」に掲載された「ムサシ」の戯曲より、
印象に残った台詞を書いていきますね。


武蔵    あのとき、おぬしに止めを刺さずに舟島から去った。
       なぜ止めを刺さなかったのか。
小次郎  知るものか。
武蔵    生死の境に立っているときのあの命の高鳴り、
       すぐに死なねばならなくなるかもしれない、
       しかしこの瞬間だけは体全体を使っていきいきと生きている。
       あのときの湧き立つような命の瞬間がまた味わいたくて、
       おぬしに止めを刺さなかったのかもしれないな。


平心    二つに割った手鏡を片方ずつ持ち合うのは、よくあることです。
       想い女からの贈りものでしょうか。そういえば小次郎どのは、
       ばかにご様子がおよろしい。想い女の五、六人、いない方がおかしいな。
小次郎  (憤然となる)この六年の間、色恋は断っている。


小次郎  およそ剣術の根所は、足の運びと腰の据え方にある。
       わたしの流儀、巌流においてもそれは同じだ。
       いまからでは遅いかもしれぬが、とにかく命がけで励め。
四人    (口々に、真剣に)はいっ。
小次郎  命がけで励むならば、かならず活路が開ける、と(咳払い)
       云えば云えようし云わねばそれまでであろう・・・
四人    ・・・?
小次郎  つまり・・・奇跡がおこるかもしれぬ。
四人    はいっ。
小次郎  いや、奇跡をおこそう。
四人    はいっ。
小次郎  (やって見せながら)背骨をまっすぐに立てる。
四人    (そうする)・・・!
小次郎  腰を両手でしっかりと抑える。
四人    (そうする)・・・!
小次郎  膝を軽く抜く。
四人    (そうする)・・・!
小次郎  その姿勢のまま、すり足で前へ進む。
       右足から(ポンと手を打つ)右ー左ー右ー左ー右ー左・・・


乙女   ・・・恨みの三文字を細筆で、初めに書いたのは父でした。
      その文字を甚兵衛どのが小筆で荒く書き、いまわたくしは、
      中筆で殴り書きしようとしている。やがて甚兵衛どのの、
      ゆかりの方々が太筆で暴れ書きすることになるはず・・・。
      そうなると、恨み、恨まれ、また恨み、恨みの文字が鎖になって、
      この世を黒く塗り上げてしまう。恨みから恨みへとつなぐこの鎖が、
      この世を雁字搦めに練り上げてしまう前に、たとえ、
      いまはどんなに口惜しくとも、わたくしはこの鎖を断ち切ります。
      ・・・もう、太刀を持とうとは思いませぬ。


平心   (武蔵に)恨みの鎖は、切ろうと思えば切れるんですね。
       ひとが作った鎖ですから、ひとに切れるのは当たり前ではありますが。
武蔵   ・・・・?
まい   (小次郎に)ひとという生き物が美しく見えるのは、
       こんなときではないでしょうか。ねえ、そうではありませぬか。
小次郎  ・・・・?


沢庵   (改まって)そこまで剣にこだわる、そのわけはなにか。
武蔵・小次郎 (一気に考え込む)・・・。
平心   うす茶でもお点ていたしましょう。
沢庵   (うなづいて)茶碗に映る月をのもうか。


まい   どうしました?
乙女   遠くで稲妻が・・・。生きていたころから、雷がきらいなんです。


武蔵   イタタ・・・しかしうれしい。やっと、ふだんの小次郎に戻ってくれたな。


まい    生きていたころは、生きているということを、
       ずいぶん粗末に、乱暴に扱っておりました。
宗矩    しかしながら、いったん死んでみると、生きていたころの、
       どんなにつまらない一日でも、
甚兵衛  どんなに辛い一日でも、
忠助    どんなに悲しい一日でも、
官兵衛  どんなに淋しい一日でも、
有膳    とにかくどんな一日でも、
宗矩    まばゆく、まぶしく輝いて見える。
平心    このまことを、生きている方々に伝えないうちは、
       とうてい成仏できません。


宗矩    カチカチ山に帰った子狸は、仇のウサギをスパッと二つに切った。
       すると、ウサギの上半分が鵜になって、下半分が鷺になって、
       空高く飛び去って行った。めでたしめでたし。
       (丁寧に会釈をして)ありがとう。
平心    (小次郎に)二つに割れた鏡が、ぴったり一つになりましたよね。
小次郎  (のろのろと胸に手を当てる)・・・。
平心    水垢離をなさっているあいだに、こっそり寸法を採らせていただいて、
       まいさんが持ち出した方を拵えました。一分の狂いもなくぴったり合った。
       生きているころは、これでも腕のいい鏡職人だったんですよ。
       (二人に)ありがとう。 


まい    おや、こちらのお方は?
武蔵    (一呼吸おいて)友人です。
乙女    ぶしつけながら、お名前は?
小次郎  (外して、武蔵に)からだをいとえ。
武蔵    (うなづいて)おぬしも達者でな。


平心    (一世一代の声で)いま、ここに、めでたく誕生のときを迎えた、
       われらが宝蓮寺は、この鎌倉でもっとも、小さな禅寺であります。
       たとえば、地蔵菩薩さまを置いた仏殿がない、
       このあたり佐助ヵ谷に朝夕の刻を告げる梵鐘もない、
       だから鐘つき堂もない、禅僧たちに朝夕の食事の刻を知らせる、
       青銅づくりの曇版もない、禅僧たちを講堂に集める合図の太鼓もない。
       あるものといえば講堂、庫裏、講堂と庫裏をつないでいる廊下、
       そしてこの引磬だけです。
       このように宝蓮寺はまことに小さな寺・・・ではありますが、
       しかし、じつは、ここは、鎌倉でももっとも大きな禅寺でもあるのです・・・