風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

甘い残像を残しながら

小雨が降っています。
昨日も書きましたが、「間違いの喜劇」「タイタス・アンドロニカス」のDVDが、
もうあと9日くらいで届くはずで(もう少し遅れるかもしれませんが)、
まず何から観ようかとか、時間の短いメイキングからかなとか、
きっと「間違いの喜劇」は前にTVで放送されたものと同じだろうなとか、
「タイタス〜」は誰にも邪魔されず、一気に約3時間観たいなあとか、
となると、その時間をどこで作ろうかとか、
エアロンのあのシーン、このシーンはちゃんと映っているだろうかとか、
届く前にいろいろ考えています(笑)。
私は「タイタス〜」は2回観たんですが、2回とも上手の席だったので、
舞台って座る席によって、随分違いますよね。
「間違いの喜劇」のときも2回観て、それは、上手と下手だったんですが、
最後のダンスシーンは、
アンティフォラスとエイドリアーナのペアばかりに目がいってしまって、
あのテレビ放送を観て初めて、
ドローミオって、あんな風に踊っていたんだ〜って思いました(笑)。
カメラワークも興味深いですよね。
「間違いの喜劇」はオープニング、アンティフォラスが慌てて舞台へ駆けつけるところ、
通路を走る姿も映してほしかったです。
でも最後のダンスンーン。アンティフォラスとエンドリアーナのキスシーンが、
次の絵に重なるように、その甘い残像を残しながら、切り替わっていくところが、
ゆっくりした音楽に合っていて、素敵だなあって思いました。
やはり舞台ですから生が一番で、その迫力、魅力には、かないません。
「間違いの喜劇」はそれこそ劇場ごと、
美しく楽しいおとぎの国へタイムスリップした感じでしたし、
「タイタス・アンドロニカス」もその真っ白な世界へ、
その一点の赤へ、巻き込まれるように惹きこまれました。
でも映像ならではの楽しみ方も出来ますよね。見えなかったところもありますし、
とにかくいつでも何回も観られますし(笑)。
というこで、24日にwowowで放送された「あわれ彼女は娼婦」を観ました。
では感想を少し。ネタバレになりますので、読みたい方だけお願いします。













あわれ彼女は娼婦    演出 蜷川幸雄


シェイクスピアの同時代のジョン・フォードの戯曲。
兄と妹が愛し合う、なかなか衝撃的な物語でした。
シェイクスピアを観ても思うんですが、
この時代、やはり根底にキリスト教が強くありますよね。
その時代にこのような神に背くような物語を発表して、すごい衝撃だったと思います。
禁断の愛を貫くには、それはそれは強い愛が必要なんだって、
兄ジョヴァンニ(三上博史さん)と妹アナベラ(深津絵里さん)を観ていて思いました。
強くて強くて、かえって折れてしまうような・・・。
深津さんはとても綺麗でした。
私は舞台を観ていつも思うのは、
舞台は遠くから観ている人もいるわけですから、
美人なら、遠くからでも美人に見えなくてはいけない。
そうなると、ラインというかシルエットというか、
それが美しいということが大事だと思うんです。
深津さんは顔が小さくて、ピンと背筋が伸びて、
肩の線が華奢で、細くて、立ち居振る舞いも綺麗で、
遠くから見ても、とても美しいお嬢さんに見えました。
そう、言わずもがな、小栗くんもそうですよね。
長身で、背筋がピンとして、足が長くて、颯爽と歩いて、
ライン、シルエットがとても綺麗だなあって思います。
遠くから見ても美しい若者の感じがしますよね(話がずれましたが・笑)。
相変わらず、舞台美術も、蜷川さんらしい、美しさで、
今回は赤と白と黒。
白いカーテンが軽やかさを、ときにはその不穏さを、風に揺れて表すと、
天井から降りた何本もの赤い紐は、
ときには開かれたドアになり、閉ざされた壁になり、
そして三上さん、深津さん、ソランゾ役の谷原章介さん、
皆さん、黒髪で、白い肌と相まって、ときおりぞっとするような美しさでした。
バーケット役の高橋洋さんは、ドローミオを少し彷彿させるような役でしたが、
物語の展開上、笑えるというよりも、それこそあわれで、可哀想でした。
最後がどうも受け入れられないんですが、
「タイタス〜」も残酷だったんですが、最後の最後で救いがあったのと、
一応なるべくしてなった感じはしたんですが、
「あわれ〜」はエネルギーはたくさん伝わってくるんですが、
あんなに凄惨な最後は、ちょっと理解に苦しみました。
結婚式のシーンが、仮面の女性たちの踊りと、並べられたいくつものキャンドルと、
妖しく不思議な感じで、とても美しかったです。