風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

純粋さの持続

今日も冷たい風が吹いています。
昨日の「オールナイトニッポン」を聞いて、りー坊さんがコメント欄で、
「お気に召すまま」(初演)のDVDを観ましたと、書かれていたので、
私も観てみました(笑)。あのオーランドーと前公爵の場面ですね。
鋼太郎さんが、「ピュアがものすごいこっちきたもんね」と仰っていましたが、
すると「カリギュラ」が観たくなって、私はあのカリギュラの中に、
ものすごい純粋さを感じたのです。
それは1回目に観たとき、あのカリギュラとシピオンのシーンで、
自分でも驚くほど、涙が止まらなくて、
残虐非道を繰り返してきたカリギュラの、その純粋な部分が、
複雑に絡まったようなカリギュラの心の中の、
その速い心の流れから、砂金を掬い上げるように、
もう見たこともないような、美しい純粋さで現れて、
心はみるみるいっぱいになり、涙は流れ続けました。
オーランドーにあった純粋さ、そしてカリギュラにあった純粋さ。
小栗くんの中にちゃんと持続されて、思えば今演じている一美くんも、
ちゃんと持っていますよね。
その純粋さは、喜劇の中、優しく温かく表現されたり、
悲劇の中、わざと戯れのように、でも真実の言葉として表現されたり、
でもそのもとになるもの、それが小栗くんの中で、ずっと息づいてきたんだなあって、
自分の中では、どう心をひっくり返したり、探しまくったりしても、
みつからないような純粋さが、彼の中にはあるんだって、
その部分に触れたとき、心震えます。涙が流れます。
カリギュラが、強引にシピオンを引っ張り、自分は椅子に腰かけて、
そしてシピオンはカリギュラの前に跪く形なり、
カリギュラが、シピオンの頬に手を添え、そしてまたふたりは立ち上がり、
互いに抱きしめあいながら、美しい詩を口ずさむシーン。
溺れるほど優しい声、揺れる髪。
シピオンの頬に置かれたカリギュラのカイウスの、ネイルされた長く美しい指。
カリギュラの背中に回されたシピオンの手は、幼子がしがみつくように。
切なくなるほど、美しい二人でした。
この後、カリギュラは、またシピオンを突き落とすようなことを言うのですが、
その後は、カリギュラの孤独が胸に突き刺さるように、伝わってきます。
その孤独もまた姿を変えた純粋さのような気がしました。
では、そのシーンを少し書き出してみますね。
カリギュラ」の本は手もとになくて、聞いて書いているので、
聞き取れなかったところ、違っているところもあるかもしれません。
その口ずさむシーンまで。


カイウス「やあ、君か。久しぶりだな。どうしてる?今も書いているのか。
      最近の作品があったら、見せてほしいな」
シピオン「詩を書きました。陛下」
カイウス「何についての」
シピオン「何というか、陛下。自然についてだと思います」


カイウス「君の詩を聞かせてくれ」
シピオン「そういわれても無理です。陛下」
カイウス「何故」
シピオン「持ち合わせていません」
カイウス「思い出せないのか」
シピオン「思い出せません」
カイウス「じゃあ、せめて内容だけでも聞かせてくれ」
シピオン「内容は」
カイウス「何だ」
シピオン「いいえ、わかりません!」
カイウス「がんばってみろ」
シピオン「大地の調和と」
カイウス「大地と足との」
シピオン「ええ、そんな感じの」
カイウス「続けろ」
シピオン「ローマの丘。そこに夕暮れが連れてくる、
      つかの間の茫然とするような静まり」
カイウス「緑の空に鳴き騒ぐつばめたち」
シピオン「えぇ、そうです」
カイウス「そして」
シピオン「なおも金色に満ちた空が、にわかによろめくと、一瞬のうちに面差しを変え、
      輝く星でいっぱいの顔を僕らに見せる。あの微妙なひととき」
カイウス「大地から夜へとのぼっていく、煙と樹々と水の海」
シピオン「かまびすしい蝉の声。暑さ、収まっていき、
      最後の荷車のガラガラと転がる音。農夫たちの声」
カイウス「そして、影に浸されゆく道は、乳香とオリーブの樹々を縫え」
シピオン「そう、そうです、そのとおりです!どうやってこれを」
カイウス「わからない。たぶん君と俺が同じ真実を愛しているからだ」
シピオン「ああ、もうどうでもいい。僕の中で何もかもが愛の姿になっていく」