風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

クレヨン画の切なさ、水彩画の切なさ

昨日の夜、雪が降って屋根が白いです。
とうとう類が始動して、また切ない類に会うんだなあって思っていて、
その前に、「ボンビーメン」で、能天気に笑おうと思っていたら、
実は、一美も切ない(笑)。
前回、一美の過去があきらかになりましたが、それだと、一美は、
お兄ちゃんのために、生きているような気がしちゃうんですよね。
一美の幸せはどこにあるのかなって。
もっとわがままを言ったり、自分のことだけを考えたりしてもいいのにって。
前に、類にも同じようなこと、書いた気がするのですが(笑)。
でもああいう生き方を選んだということで、すでにそこに一美の意志が存在していて、
一美が、自分の幸せがそこにあると感じるのなら、それはいいことでしょうか。
でも見ていると、なんだか切ない。
一美は、子供が描くような自由なクレヨン画のイメージだったんですが、
この頃、ちょっと切ないクレヨン画かなって。
類は、水彩画のイメージですね。
水彩画の優しくて、儚くて、繊細でどこか切ない感じ。
両方とも切ないということは、小栗くんが切ないのかな(笑)。
前に携帯のサイトの小栗くんの撮った空の写真が、とても素敵だったのですが、
モノクロで、構図も素敵で、雲の間から光が差し込んでいる写真。
清々しさもあって、でも寂しがりやさんが撮った写真だなあって思ったり、
やはりどこか切なさが感じられる写真でした。