風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

一種もどかしい温柔な美にあふれた

小春日和です。
次の映画はどんな作品かしらと、思いつつ、
あの銀髪のままで、ひとつ作品を撮ってほしかったなあとか思っています。
あの髪の色ですから、結構限られますよね。
サラリーマンは出来ません(笑)。
美大生とか、芸術家方面、ダンサーでもいいですね(踊りは練習していただいて・笑)。
それとも若いツバメとか(言い回しが古いですか?笑)。
「+act」の中で、脚本家の武藤将吾さんが、
“今、思ったんですけど、もし次に小栗旬で何か書けって言われたら、
これまでよりも更に二枚目の役を書くかもしれません(笑)”と、
書かれていて、大賛成って思いました。
美しさゆえすべてを許されてしまうような、
相手を翻弄してしまい、破滅に追い込むような、
若く美しいときにしかできない役をやってほしいですね〜。
ということで、三島由紀夫「禁色」より、美しい青年を描写した一節を。


それは愕くべく美しい青年である。ギリシャ古典期の彫像よりも、
むしろペロポンネソス派青銅彫像作家の制作にかかるアポロンのような、
一種もどかしい温柔な美にあふれたその肉体は、
気高く立てた頸、なだらかな肩、ゆるやかな広い胸郭、
優雅な丸みを帯びた腕、俄かに細まった清潔な充実した胴、
剣のように雄々しく締まった脚をもっていた。(中略)
俊敏な細い眉、深い憂わしい目、やや厚味を帯びた初々しい唇、
これらが彼の稀な横顔の意匠であった。そして見事な鼻梁は、
その引締まった頬と共に、青年の顔立ちに、気高さと飢えのほかは、
まだ何も知らない或る純潔な野性の印象を与えていた。
それはさらに、暗い無感動な眼差、白い強烈な歯、すずろに振られる腕のものうさ、
躍動する身のこなしなどと相俟って、この若い美しい狼の習性を際立たせていた。
そうだ、その面差は狼の美貌であった。


いろいろ当てはまります(笑)。
“一種もどかしい温柔な美にあふれたその肉体”
なんとなくわかるような気がしませんか。
“気高く立てた頸、なだらかな肩、ゆるやかな広い胸郭、
優雅な丸みを帯びた腕、俄かに細まった清潔な充実した胴、
剣のように雄々しく締まった脚を持っていた。”
そのまま、小栗くんのことを書いたようだって思ったんですけど(笑)。
“気高さと飢えのほかはまだ何も知らない或る純潔な野性の印象を与えていた。”
好きな文章です。
この頃の写真の美しい彼を見て、この一節を思い出した秋の一日でした(笑)。