風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

素敵な言葉たちのパッチワーク

晴れていますが、寒いです。
山りんさんから教えていただきました(ありがとうございます)。
「FLIX JAPAN 1月号増刊」
小栗くんが表紙。あの「Eye-Ai」のときと同じ感じで、
もう少し全体が写った写真です。
山りんさんが言われるように、この表紙の小栗くんと、
源治な小栗くんが、交互に載っているような感じで全18ページ。
その中に現場レポート等も含まれます。
インタビューは今まで読んだものと同じようなものですが、
最後のところが少し突っ込んだ感じでした。
「日本映画magazine」にも、4ページほど載っていたと思います。
こちらは源治のみ。こちらも写真が良かったです。


さて発送メールは来たのに、なかなか「夢をかなえるゾウ」のDVDが、
届かないので、また昔の話を(笑)。
小栗くんのインタビューや、ブログでの言葉、
ちょっと哲学的だったり、詩的だったりしますよね。
2006年8月の日記に、2005年8月に発売された「ドラマジェニック」に、
載っていた小栗くんの言葉。
「心がいろんなことを知っていないと、
ひとを感動させることは出来ないんじゃないかって思ってる」
この言葉が好きで、どうして好きなのか、解説していますので(笑)、
ちょっと書き出してみます。


「心がいろんなことを知っていないと、
ひとを感動させることは出来ないんじゃないかって思ってる」
最初に「心が」と持ってきたところに、ぐっと惹きこまれるんですね。
「心」がちょっと擬人法のようになっていて、例えば、
「いろんな経験をして、いろんなことを知っていないと」とも書けるんですが、
それだと、聞いて普通に通りすぎてしまうところを、
「心がいろんなことを知っていないと」と言うことによって、
少し、ロマンチックというか、それこそ、私たちの心に引っかかる感じになります。
ときどき小栗くんの言葉は、きっと本人の自覚はないと思うんですが、
ちょっと詩的ですよね。


はい、自分で納得しました(笑)。ということで、
ずっと前に「テレパルf」という雑誌に、小栗くんが連載を書いていまして、
好きだったのですが、その雑誌自体が廃刊になってしまって、
9回の連載で終わってしまいました。では、その9回の中から、
これは、という言葉を抜き出して、パッチワークのように、
並べてみたいと思います(笑)。


「旬感フォトグラフ」 2007.2〜2007.10


あなたは何色ですか。
この先の未来なんて分かるはずもないことだと、
十分にわかっていながらも、ふと自分の色を探してしまいます。
冬のニューヨークは寒いけど、不可思議な魅力とパワーがみなぎっている。
ふたりで美味しくイタリアンをいただきました・・・ってなんか、
小学生の日記みたいになっちゃったけど、書きたいことはいっぱいなのさ。
見まくってきた。「MOMA近代美術館」
アートって本当にパワーがいるね。なんだろう、あの対峙したときの感じ。
作者が「かかってこいよ」って言っているんですよね。
あんまり空が素敵だったから。
俺のくだらない行動にいつも付き合ってくれました。
そして一緒によく笑いました。
桜咲き乱れております。
随分と春になりましたね。
この空やばいでしょ。
この感覚が正しいほうにいったのか、間違ったほうにいったのかは、
皆さんも一緒に映画館で確かめてください。
やっぱり空が好きです。
あれ?俺大丈夫か?ちゃんと人間してるのか?
日ごろ感じる空気のにおいとか、風とか天候とかにすら、
敏感に、そして素直に反応できなくなっているからだろう。
そんなことも感じない男がどうやって人の気持ちを察したり、
感じたり、揺れたりできるのだろうか?と思ってしまう。
この環境は自分がチョイスしたものだという使命を背負っているからである。
つらいとき、苦しいとき、痛いとき、楽しいとき、嬉しいとき、
ドキドキが止まらないとき、何かに向かってるとき、
とにかく日々日常のせわしなくも儚い時の流れの中で感情に流されながら、
生きてるよね。でもこれは、自分が人間であることを嬉しく思う、
普段の生活の中にあるごく普通の幸せだと僕は思います。
何が言いたいかっていうと、幸せって見逃しちゃうことが意外と多くて、
でも見逃さなければ結構いっぱいあるんじゃないかなってこと。
だから、皆さんにも幸せを逃さずに生きていただけたら嬉しいし、
素晴らしいと思ったりしました。
俺は空が好きです。この空の下、皆さんの毎日も幸せであるように。
んじゃバイバイ。ガンバロ〜ぜぃ。


これはいまさらですが、あの怒涛の2007年に連載していたんですね。
今、読み返してみたら、どんどん忙しくなって、
まわりのことさえ考えられなくなっているという不安を書いているのですが、
それは逆で、そうなればそうなるほど、ちゃんとまわりが見えていて、
まわりに気遣いできる、感謝の言葉とともに、
かえって謙虚になっていく小栗くんがいたんだなあって思いました。
それでなくては、連載が終わった2007年10月号で、
こんな幸せな結び方はできないですよね。
言葉を発して伝えること、文字として伝えること、
それぞれの魅力があると思うので、また小栗くんらしい言葉で、
書いてほしいと思います。