風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

挑戦、それも楽しげに

晴れたり曇ったりしています。
昨日、なんとなく本棚を見ていたら、
何故か「表裏源内蛙合戦」の本がありまして(笑)、
この間、wowowで放送されたお芝居を観たばかりだったので、
早速手に取って、台詞を読んだりしていました。
その本の裏表紙には、こう書いてあります。
“洒落に地口に語呂合わせ、言葉遊びの爆撃で、
 笑いのうちに時代と人間の核心を衝く井上戯曲の原点。”
まさにそのとおりの作品でした。
私は舞台の井上作品を1本しか見ていなくて、その印象でのお話になりますが、
井上さんの作品は、とてもパワフルですが、
どろどろしているというか、泥臭いところがありますよね。
そして蜷川さんの作品(これも観た範囲内で)は、
いつも耽美的なところがあって、
「タイタス・アンドロニカス」等の血で血を洗うような物語でも、
美しさをとても感じる演出になっています。
そのお二人の仕事ということで、
さい芸の「アーツシアター通信」にはこう書かれています。
“蜷川は、野性的エネルギーと猥雑に満ちた戯曲を書く井上に、
 共感を抱いていたという。”
“蜷川は井上の戯曲を「暴れ馬」と表現する。”
“七十歳を超えた自分に、より過激な、より奔放な表現を求めている。
 だから、力がみなぎる井上戯曲に「鼓舞される」と言う。
 井上が原稿用紙にきざみつけた発熱するような言葉が、
 演出家の心をかき立てている。”
どこまでもどこまでも挑戦していく蜷川さんにとって、
これもひとつの挑戦なのかなって思いました。それも楽しげに。
ということで、やはり「アーツシアター通信」に書かれていた、
昨日も紹介しましたが、小栗くんの言葉を思い出してみると、
“格好良く見せることには喜びを感じない。
 一瞬一瞬のリアルな感情を作るために、命削って取り組む。”
この言葉も充分挑戦を感じますよね。
私は小栗くんの演技で好きなところは、
美しさ経由で、感情が伝わってくるところというか、
彼の場合、あまり生っぽくなく、伝わってきますよね。
そこが好きだったのですが、それは彼の特徴であると同時に、
でも今それを小栗くんは破ろうとしているのではないだろうかとか。
小次郎なので、それほど泥臭くなるとは思えないのですが、
しかし小次郎なりの渦巻く深い感情があるはずなので、
また新しい小栗くんが観られる予感がしますよね。
それでは、風刺、皮肉、過剰、論理、切なさ等、いろいろな要素が、
入っている井上さんの戯曲、「表裏源内蛙合戦」より、
たびたび歌われた歌の詩を書こうと思います。


美しい明日を
お前は持っているか
美しい明日を
心のどこかに


尻尾を振りなさい
出世が望みなら
高見の見物もいい
弥次馬は傷つかない
わるだくみをなさい
権力がほしいなら
武器を捨てなさい
明日が醜くてもいいなら


美しい明日を
みんなは持っているか
美しい明日を
心のどこかに
貧しさを踏みにじり
病を川の中へ
ゴミタメに太陽を
くらやみに光を
やさしさにやさしさを
ちからにはちからを
武器をとりなさい
明日を美しくしたいなら


おまえは生きている
ほんとうに生きている
美しい明日を
美しい明日を
おまえが持っているなら
ほんとうに持っているなら