風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

聡明さという生き方ナビ

今日も一日、晴れていました。
昨日の「スマイル」は一応、見ていましたが、脚本、変わったんですね。
宅間さんではなかったですね。どうか最終回は後味良くお願いしたいです。
ところで、「スマイル」は差別もひとつのテーマになっていますが、
ちょっと「スマイル」とは離れますが、ときどきある野球選手のお話を思い出します。
その方はもう引退されていて、日本で育っていますが、
日本国籍ではない方で、トーク番組でこう話されていました。
“いつも母親からは、野球では、実力で、1番になれと言われていた。
何故かというと、お前が2番の実力だった場合、監督は3番の日本人選手を使う。
でも1番だったら使わざるをえない。有無を言わせないところにいなきゃいけない。”
こういう監督さんばかりではないと思いますが、
そういうこともあるかなあと思いました。
この話を、ときどき、小栗くんが所属する小さなプロダクションに、
重ねてしまうときがあります。ここからは想像ですが、
やはり小栗くんも、小さなプロダクションゆえ、1番になる必要があった。
有無を言わせないところにいかないと、使ってもらえない。
蜷川さんのように、最初から目をかけてくれて、実力を見抜いてくれて、
いろんなしがらみを諸共せず、使ってくださる方もいらっしゃいますが、
いろんな力関係がありますよね。
三池監督が、やべさんのラジオの中で、小栗くんについて、
「巨大なプロダクションの力によって作られた男じゃないんでね、
我々内側から見てるとちょっとした事件なわけですよ、
俳優史の中でも特別な存在なんだよね」と仰っていましたが、
やはりそうなんだと思いました。
でも小さなプロダクションだからこそ、ああいう小栗くんになったとも言えるし、
巨大なプロダクションの中にいたら、彼の性分として、
どうなったかなとも思いますが。
小栗くんが23歳頃に、「お気に召すまま」等を翻訳された松岡和子さんが、
小栗くんへ文章を寄せてくださった雑誌がありました。
その一節を書いていきますね。


内田有紀に会いたくて、児童劇団に入り、レッスンも受けたが、
納得いかないことが多くて、ほとんど出なかった。
その理由に早くも彼の気骨とセンスの良さが感じられる。
「クラスのみんなでやるんですけど、みんな同じ言い方をしはじめる。
なんか気持ち悪いし、面白くないなぁと思って。」


私が「この人は俳優として信頼できる」と思ったのは、
「お気に召すまま」のときだ。清潔感と潔さ、情感あふれる小栗の、
素晴らしい演技に感銘を受け、
シェイクスピアの台詞って普段使わないような言葉が、
いっぱいあるけど、どう?」と問いかけたところ、
「だからこそいい」という趣旨の答えが返ってきたのだ。
「最初は抵抗ありましたけどね。でも胸張ってああいう言葉を言えるのは、
あそこしかないと思う。」


いや、どうしてどうして、彼には聡明さという生き方ナビが内臓されている。
まだ23歳のこの青年の、打てば響くようなユーモアあふれる受け答えを、
聞いているうちに、私のなかに生まれたのは深い敬意である。


小栗くんの聡明さという生き方ナビは、今も正確に動いていると思います。
こういう立場にある人こそが、よい作品に恵まれますように、
願わずにはいられません。