風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

オールナイトニッポン第146回 その1

雨になりました。
キノピーさんから教えていただきました(ありがとうございます)。
TAJOMARU」DVD発売について、山本プロデューサーの、
インタビューが載っています。

【 山本又一郎が明かす「TAJOMARU」の過剰すぎる舞台裏 】

いろいろご苦労があって、生まれた映画だったんですね。


そして「オールナイトニッポン」第146回、聞きました。
まず大切なお知らせがあったので、そちらから。
小栗「さ、ということで、今夜もいつもどおりの小栗旬のオールナイトニッポンをお届けしましたが、ここで、小栗旬からラジオの前の皆さんに、ええ、大切な発表があります。ニッポン放送としては来週正式に発表することなんですが、やはり、私小栗旬は、それこそニッポン放送の皆さんからのおかげで、ええ、小栗旬は自分で言ったほうがいいよっていうふうに、皆さんが言ってくれたので、自分の口で、自分の言葉で、皆さんに直接伝えたいという思いがあり、今夜はこの場で発表させていただくことになりました。ええ、嘘でも冗談でもありませんので、しっかり聞いていただきたいなと思いますけれども。ええ、私が3年、今度3月で、3ヶ月、続けてきたこの小栗旬のオールナイトニッポンは、3月31日を持ちまして、放送を終了します。まあ、ディレクターが、トミーに替わってからは、やめるドッキリというのはなくなったので、ええ、その当時、そのあたりから聞いてる人たちにとっては、ちょっとわからない話かもしれないし、昔から俺のラジオ、ずーっと聞いてくれてる人たちからすると、また、嘘なんじゃないのっていうことになるかもしれないですけど、ディレクターがね、石田さんという人だった頃には、ほんとにね、一区切りあるたんびに、やめるドッキリみたいなことをしながら、気付けば3年3ヶ月、やってきたんですけど。ま、ゆったら、この間、あのう、このラジオでも言ったように、えーっと、僕のラジオをやってくれたチームを、僕のお家に招いて、食事をした、なんていうこともね。ちょっとまあ、僕の中では感謝も含め、ええ、みんなとの別れを惜しむじゃないけど、別れを惜しむじゃないなあ、とりあえず、俺はこのチームがとにかく好きなので、このチームと今後もやっていきたいっていう思いとか、そういうことも含めての、みんなとの、決意表明みたいな、ところもあったんですけど。ただとにかくね、あのう、ま、ほんとに、言わせていただければ、今回は実際僕のわがままだと思います。で、それはなんでかというと、やっぱ3年3ヶ月、こうやってラジオをやってきて、それこそね、情熱大陸っていうものに出た頃なんかは、生にこだわる小栗旬っていうことでね、生放送、この1時3時、お送りするっていうことをやってきたんですけど。ほんとに、正直、しんどかったです。ん。すごく大変な作業だった、俳優っていう仕事をしながら、ラジオをやっていくということは。もちろん他にも俳優をやりながらラジオをやっている人たちはいると思うので、そういう人たちは僕はとにかく尊敬します、ただただ。だけど、あのう、なんていうんだろ、1つの作品に向き合っている間に関しても、必ずこの1時3時に、この場所に戻ってこなきゃいけないっていうことが、僕の、確実にこの3年間、3年3ヶ月の間、もしかしたら、ラジオの前のみんなも、そうやって感じてくれたかもしれないけど、僕にとっては確実な生活の一部、小栗旬にとって、水曜日っていうのは、そういう日っていう状態で、過ごしてきた、3年3ヶ月。で、まさか、以前にも言ったことがあると思うけど、自分がタイトルになる番組を持つとは思っていなかったし、それを3年も続けられるとも思っていなかったし。で、そういう形でこのラジオ、やらせてもらってきて、でもほんとに、半年前ぐらいに、ニッポン放送の皆さんに、ええ、一度、やめさせてほしいという話をさせてもらって、それはやっぱりなんでかっていうと、やはりもう一度、自分の俳優という仕事に向き合いたいから、ん。で、なんで、そうかというと、それが別に、僕にマイナスになってるか、なってないかは別としても、いろんな環境がやっぱりありますよね。それこそ東京DOGSという作品を撮っているときだって、僕が水曜日、1時3時まで、ラジオをやっているから、次の日の木曜日、小栗の入り時間を少し下げてあげようっていう配慮をスタッフさんがしてくれる、でも俺、主役だからさ。そんなことしなければ、現場はもっと回るかもしれない。で、俺の仕事っていうのは、確実に俳優っていうことをやるっていうのが一番の目的であって、でも、このラジオっていうことをやることが、あのう、俳優という仕事と繋がってないっていうわけじゃない、俳優小栗旬があくまでやらせてもらっているオールナイトニッポンで、確実にそれを僕はやらせてきてもらったから、あの、自分にとって素晴らしい時間だし、生活の一部だし。もしも第1回からずーっとこの放送を聞き続けてくれてるリスナーがいてくれたとしたら、僕らともに3年3ヶ月、この水曜深夜1時から3時っていう時間を共有してきた仲間であって、チームである。で、僕にとっても、この先、3月31日を迎えて、あのう、離れたときに、ぽっかり穴が空いてしまうかもしれない、水曜日の1時3時、確実にそういうことをしていた3年、3年3ヶ月って俺にとってはやっぱとんでもなく長い、24歳のあの日に始まった、そのラジオの環境から離れて、急にその日に何もなくなったときに、あれ、なんで俺こんなことしちゃったんだろうって思う日もあるかもしれない。でも、一度そういうところに、ニッポン放送の皆さんにもわがままを言わせてもらって、それこそこれはうちのね、プロダクションというところの枠でいっても、まず僕が最初に去年の夏ぐらいかな、ちょっともうあのう、ほんとに俳優をやっていく上で、このラジオを続けていくことは、肉体的にも精神的にもしんどくなってきてしまったっていう話をさせてもらった瞬間があって、でもそんな中で、じゃあ、収録っていうことを、あのう、それこそ、ひと月が4週5週あるとしたら、3週収録で、2週生っていうような、段取りを組めれば、続けていけるんだろうか、なんていう話にもなったんだけど。でも、やっぱり小栗旬のオールナイトニッポンっていうのは、極力生で放送して、で、できれば、もうほんとに無理な状況になったら、収録をするっていう形でやってきた、そのスタンスを崩してまでやる必要性があるのかっていう話にもなって、ならば一度、離れようと、ん。そういうことになりました。で、1回離れてみます。で、例えば今も言っているんだけど、1度、離れて、もう1回やらせてくれなんて言ったら、そう簡単に戻れる世界じゃないかもしれないので、わからないけど、確実に僕はいつか戻ってきたいと思っています。このラジオというところに。で、こんだけ、自分の思いだったり、言いたいこと言わせてもらったこの環境にとても僕は感謝してるので、必ず、いつか戻ってきたいと思っています。ん。とにかくまだこれからね、ええ、3月いっぱい放送がありますので、みなさんとともに、共有して最後の日にはまた改めて、もう一度皆さんに伝えたいなと思います。さ、ということでね、ガンガンひとりで喋ってしまったこんなエンディングでしたけれども、ええ、こんな時間になってきましたので、皆さんとお別れ、残り4回となってしまいましたが、是非最後までお楽しみください。それでは、よい夜明けをお迎えください。小栗旬でした。バイバイ」


いつものやめるドッキリじゃないんですね。
こんな日が来るのかなあって思ってはいましたが、
ずっと来ないだろうなんて思っていた自分もいました。
とても丁寧に真摯に話してくれて、小栗くんの声が決意も感じられるのですが、
その息遣いの中に、なんとなく涙ぐんで喋っているのでは・・・なんて感じられて、
こちらも涙が滲みました。
やはりラジオは、精神的な小栗くんを一番近くに感じられた場所で、
彼が飾らず正直な人だったので、
今の彼の思いがダイレクトに伝わってくる唯一の場所でした。
小さな事務所で、ああいう性格なので、誤解もされやすいし、
そんなとき、雑誌より、テレビより、何より真実が分かる場所でもありました。
その場所がなくなることは、とても辛いですね。
すごく寂しいです。
私としては、思いがけず、幸せをいただいた思い出深い場所でもあり、
感謝の気持ちでいっぱいですが、やはりいろいろと手を抜けない人なので、
俳優というお仕事を考えたら、仕方ないかもしれませんね。
それに引き換え、いつも手抜きのレポートで申し訳ないのですが、
でもこの言葉は、一字一句慎重に書き起こしたつもりです。
小栗くんの言葉、受けとめてあげてくださいね。
残りの「オールナイトニッポン」のレポートは明日、書きます。