風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

心にある無垢な扉を開ける鍵

初夏のような日になりました。
昨日の「おしゃれイズム」、未公開映像、ありましたね。
内容は、以前「オールナイトニッポン」で妻夫木くんが、
ゲストのとき(おぐ散歩のとき)に話していたことでした。
でもその話を聞きながら、瑛太くんの方へ傾きながら笑っている小栗くんの姿が、
とっても可愛かったです。
とにかくあの4人組はとても素敵なので、また見ることができて嬉しかったです。
uno のCM も見られましたね。


さて先日、堀北真希ちゃんが、舞台でジャンヌダルクを演じるという記事を、
読みました。皆さん、どんどん舞台に進出されるんですね。
一番舞台に出ていただきたい方が、いまだにそういう情報がなく寂しい限りですが。
ジャンヌダルクといえば、松たか子さんのジャンヌダルクを思い出します。
「ひばり」という舞台で、ジャンヌダルクを演じていました。
wowowで観たのですが、そのときの私の感想はこちら。

【 2007-4-1 舞台 ひばり 感想 】

「ひばり」は翻訳が岩切正一郎さんで、「カリギュラ」を翻訳された方ですね。
私は岩切さんの翻訳、とても好きです。
岩切さんは、「ひばり」「カリギュラ」の翻訳で、
第15回湯浅芳子賞(優れた外国戯曲の上演、翻訳などを顕彰するもの)を、
受賞されましたよね。
2008年8月1日に紹介した岩切さんの記事があるのですが、
とても興味深いことが書かれていましたので、ここに抜粋してみます。


フランスの詩人ボードレールは「私は泥をこねて黄金にした」と書いている。価値として認められていなかった泥にたとえられる現実に対し、詩的な価値を与えることが文学なのだと思う。
一方、演劇の言葉はどうだろう。昨年、蜷川幸雄さん演出の「ひばり」と「カリギュラ」を翻訳した。
俳優は「セリフを体に入れる」という。他人の言葉を口にするのではなく、まさにその役の言葉として体から表現しなければならない。ある俳優から「このセリフは本当に私のセリフだろうか」と言われたことがある。役になりきっていた彼は、「私がこんなことを言うはずがない」と。それで見直してみたら、私の訳に不足があった。
言葉は信じなければ「体」に入っていかない。翻訳というのは信じられる言葉を作ることでもある。
詩や演劇は、人の心にある無垢な部分で受け止められるような言葉を作ることを目指している。詩も翻訳も、「人が信じて生きることのできる言葉」を作り出すことなのだ。


道   岩切正一郎


川のながれにそって
ぼくのあるく道は
夏草にはさまれている。
そこにときおり、
まえぶれもなくたおやかな
音色がほとばしる……鳥の声だ。
むこうの木立から
空間はみずみずしくされ、
ひらかなかった口から
いわれなかったことばは
真昼のカンナのなかへ消える。


この「道」という詩が好きです。
“ひらかなかった口から いわれなかったことばは 真昼のカンナのなかへ消える。”
ここが特に好きで、心が締め付けられるような感じがします。
情景がそれほど詳しく書かれていないのですが、
それでも目に浮かぶように、心情的に理解できるというか、
どこか切なくて、“真昼のカンナ”が情熱的でもあり、素敵だと思います。
そしてやはり「カリギュラ」の台詞に似ているところもありますよね。
岩切さんの翻訳も、美しくて詩的でとても好きです。
カリギュラ」は私の琴線に触れる言葉が、溢れるほど使われていました(笑)。
格好いい台詞でもありますし、聞いていると、ぐっと持っていかれます。
“詩や演劇は、人の心にある無垢な部分で受け止められるような言葉を、
 作ることを目指している。
 詩も翻訳も、「人が信じて生きることのできる言葉」を作り出すことなのだ。”
本当にそうですよね。
そしてその美しい台詞に命を吹き込み、心にある無垢な扉を開けてくれるのは、
是非、小栗くんであってほしいと願ってしまいます。
その無垢な扉は、小栗くんという鍵で開けてほしいのです。
それが私の望みです。


そうだ、セゾニア。この自由がなかったら、
おれは満ち足りた男になっていただろう。この自由のおかげで、
おれは神のように見通す孤独な男の眼を獲得した。
おれは生き、おれは殺し、破壊者の狂乱した権力を行使する。
それを前にしては、創造者の権力など猿芝居に見える。
幸福であるとは、こういうことだ。幸福とは、これだ。
この耐えがたい開放感、あらゆるものへの軽蔑、おれのまわりの血、
憎しみ、自分の人生を眼下に支配している男の比類なき孤立、
罰を受けない暗殺者の常軌を逸した悦び、
人間の命を砕く情け容赦のないこの論理、
おまえを砕く論理でもある、セゾニア。
そしてついに、欲しくてたまらない永遠の孤独を完成させるんだ。
                    「カリギュラ」 岩切正一郎訳より