風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

清潔感と潔さ、情感あふれる素晴らしい演技

晴れました。新緑が眩しいです。
みぃさんから教えていただきました(ありがとうございます)。
久しぶりに笠原秀幸さんのブログに、おしゃま大臣(小栗くん)の、
話題が出ています。

【 笠原秀幸さんのブログ 】

“子役から芝居をやっている役者が絶対に乗り越えなければいけない壁”って、
何でしょう。笠原さんの持論は、蜷川さんと同じだったんですね。
そして小栗くんはその壁に誰よりも早く気づいたんですね。
小栗くんが22歳頃に、翻訳家の松岡和子さんが、
小栗くんへ文章を寄せてくださった雑誌がありました。
そこにはこんなことが書かれていました。


11歳(小学6年)でこの道に入った動機は「内田有紀に会いたい!」
そこで児童劇団に入り、レッスンも受けたが、
「納得いかないことが多くて、ほとんど出なかった。」
その理由に早くも彼の気骨とセンスの良さが感じられる。
「クラスのみんなでやるんですけど、みんな同じ言い方をしはじめる。
 なんか気持ち悪いし、面白くないなぁと思って。」


このことが乗り越えなければいけない壁であるかどうかはわかりませんが、
子役からの俳優さんは、すべてではないですが、
まとまりすぎる、達者すぎるゆえのいやらしさがあるというか、
それは小栗くんには全くないんですよね。
むしろ対極にあるくらいで、上手くて、いやらしさがないというのは、
凄いことだと思います。上記の文章にあるように、
みんな同じ言い方をしはじめることを気持ち悪い、面白くないと、
思うところが、それも幼いときにそう思って、それが小栗くんの、
“気骨とセンスの良さ”なんですよね。
だからあの演技に繋がっていくのだと思います。
清潔感があって、押し付けがましくなく、でも心にストンと入ってくるような、
軽やかで、上品で、叙情もあって、心の変化等、表現の仕方が、
繊細でナチュラルな演技。だからいつもその役を愛しいなあと思えます。
先ほど紹介した松岡さんの文章、続きがあります。


私が「この人は俳優として信頼できる」と思ったのは、
「お気に召すまま」のときだ。清潔感と潔さ、情感あふれる小栗の、
素晴らしい演技に感銘を受け、
シェイクスピアの台詞って普段使わないような言葉が、
 いっぱいあるけど、どう?」と問いかけたところ、
「だからこそいい」という趣旨の答えが返ってきたのだ。
「最初は抵抗ありましたけどね。でも胸張ってああいう言葉を言えるのは、
 あそこしかないと思う。」


松岡さんは、「お気に召すまま」「間違いの喜劇」「タイタス・アンドロニカス」を、
翻訳された方ですが、「お気に召すまま」初演のときのオーランドーについて、
「お気に召すまま」再演のときのパンフレットにこう書いてくださいました。


「喜劇になると俄然ヒロインが活躍するのがシェイクスピア作品です。
男と女が対等か、ヒロインが男そこのけの大活躍する作品が多いですね。
でも蜷川さん演出の「お気に召すまま」では、小栗旬君のオーランドーが、
戯曲で読んだ以上に生き生きと立ち上がってきて、
この役の大きさと深さ、魅力を実感させてくれました。」


“清潔感と潔さ、情感あふれる小栗の素晴らしい演技”、
小栗旬君のオーランドーが戯曲で読んだ以上に生き生きと立ち上がってきて”
本当に本当に、毎回、そう思いますよね。どんな役でもそうですね。
清潔感があって、役が確かに息づいていて、愛しく思えて、惹き込まれます。
蜷川さんの仰った、「悪そうで、オシャレでかっこいい。叙情もある」も、
まさにそうで、そういう彼に合った役を、また演じてほしいなあと思います。
松岡さんの文章、最後はこう結ばれています。


いや、どうしてどうして、彼には聡明さという生き方ナビが内臓されている。
まだ22歳のこの青年の、打てば響くようなユーモアあふれる受け答えを、
聞いているうちに、私のなかに生まれたのは深い敬意である。


聡明さという生き方ナビは、今はどの方向を差しているのでしょうか。
是非是非、役者の方向を差し示してほしいなあと思います。
やっぱり小栗くんの演技が好きなのです。
清潔感と潔さ、情感あふれ、生き生きと役に生きるあなたを観たいのです。


オーランドー「ここに懸かってろ、俺の歌、俺の恋の証人だ。
        三つの冠を戴く夜の女王よ、見ていてくれ、
        その清らかな目で、蒼ざめた天の高みから、
        あなたに仕える美しい狩人、俺の運命を支配する人の名を。
        ああ、ロザリンド、この木々が俺の手帳だ、
        その幹に思いの丈を彫りつけておこう、
        そうすれば、この森に住むすべての者の目が、
        いたるところであの人の美徳の証を見ることになる。
        走れ、走れ、オーランドー、木という木に刻みつけるのだ、
        たとえようもなく美しく清らかなあの人の名を。」
                             「お気に召すまま」より