風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

わたしはわたしの憧れの在処を知っている

秋晴れです。
「オリ☆スタ 9/23号」を買ってきました。
小栗くんは「キャプテンハーロック」の初日舞台挨拶の記事、
1ページだけだったのですが、
皆さん絶賛(笑)の小栗くんを写真で手元に置いておきたかったので、
買ってきてしまいました。
カラー1ページで写真は3枚。
春馬くんとほぼ全身が写っている写真が、きりっとしていて素敵です。
いつも書いていますが、小栗くんは、眉、目、鼻、口の配置が、
とてもバランスがとれているので、凄く端正な顔立ちに見えます。
それは頬、顎のラインがシュッとしていると、余計に綺麗に見えるので、
この写真がまさにそうで、綺麗なお顔だなあと思います(笑)。
その上、すらりと長身ですから、細身である方が、
小さい顔と身体のバランスも良いですよね。
洋服もテレビで見たときより、もっとブルーが濃くて綺麗でした。
早くこの小栗くんで新しい作品が観たいです。


その小栗くん、昨日は、大正、昭和初期の作品に出てほしいと書きましたが、
私は三島文学が好きで、20代の頃、小説に関してはほぼ読破しました。
今は随分経ってしまったので(笑)、
内容は覚えているものと覚えていないものがあるのですが、
三島さん自身の生き方にはいろいろ思うところがありますが、
あの文章が好きなんですよね。
三島作品はよく舞台にもなりますよね。
それこそ大正、昭和初期の作品も多いです。
では今日は三島作品から少し、書いていこうと思います。


<花ざかりの森>より


わたしはわたしの憧れの在処を知っている。憧れはちょうど川のようなものだ。
川のどの部分が川なのではない。なぜなら川は流れるから。
きのう川であったものはきょう川ではない、だが川は永遠にある。


<青の時代>より


こうして世にも若々しい偏見にみちた二人の会うべき時刻が迫った。耀子のノックがきこえる。耳にそそがれた酒を味わうように、誠の耳はこの音ないに酔った。入ってきた耀子は部屋が真暗なのにおどろいた様子だったが、瓦斯の焔の前に向かいあって坐ると、おとなしく書類をさし出した。タイプライタアの細字は瓦斯の火明りで読むことができない。読むともなげにじっと紙面をみつめている誠の固苦しさを耀子は手を束ねて見ていたが、やがてこう言った。

「その書類でよろしゅうございますか」

そこで誠は、ええ結構と答えた。耀子が重ねて言った。この言葉には女に甘い奴が母性的とでも呼ぶであろう思い上がった微笑が添えられた。

「そんな明りでお読みになれて?」

この媚態と挑戦の巧みな取り合わせが誠を怒らせた。

「あんたは不真面目だな」と誠は言った。

「どうして、あたくしが」

「不真面目だよ。あなたは人生とちゃらんぽらんな関係しか結ばない。あなたはせいぜい人生を馬鹿にしているつもりでいるが、人生が悪戯っ子をゆるすように微笑を以てあなたをゆるしていることに気がつかないんです。そういつまでも人間を愛さないで生きてゆけるものじゃありませんよ。愛される危険を避ける道は、愛することのほかにはないからね」

「誰も人生と確かな関係なんか結べる人はありませんわ」と耀子は気持のよい率直さで言葉を返した。

「社長さんだってそんなものをもってはいらっしゃいません。」


<禁色>より


それは愕くべく美しい青年である。ギリシャ古典期の彫像よりも、
むしろペロポンネソス派青銅彫像作家の制作にかかるアポロンのような、
一種もどかしい温柔な美にあふれたその肉体は、
気高く立てた頸、なだらかな肩、ゆるやかな広い胸郭、
優雅な丸みを帯びた腕、俄かに細まった清潔な充実した胴、
剣のように雄々しく締まった脚をもっていた。(中略)
俊敏な細い眉、深い憂わしい目、やや厚味を帯びた初々しい唇、
これらが彼の稀な横顔の意匠であった。そして見事な鼻梁は、
その引締まった頬と共に、青年の顔立ちに、気高さと飢えのほかは、
まだ何も知らない或る純潔な野性の印象を与えていた。
それはさらに、暗い無感動な眼差、白い強烈な歯、
すずろに振られる腕のものうさ、躍動する身のこなしなどと相俟って、
この若い美しい狼の習性を際立たせていた。
そうだ、その面差は狼の美貌であった。


もう文章が圧倒的ですよね。しかも美しい。
あの当時の日本語の美しさも魅力で、
少しカミュの「カリギュラ」にも似ているような理論的で逆説的で複雑で、
しかし耽美的でとても惹かれます。
小栗くんもいつか三島作品に出てほしいなあと思っています。