風色の椅子 第二楽章

小栗旬さんのファンブログ やや耽美主義

秋の瞳

秋晴れです。
私の好きな詩人八木重吉さんの詩集に「秋の瞳」という作品があるのですが、
ということで、今日は小栗くんの瞳について(無理やり・笑)。
去年、彼の瞳について書いた文章があります。



小栗くんの目について。
目は、いわゆる二重で、大きくて、睫毛がびっしりでとか、
そういう目ではないのですが、とても力のある目です。
本当に、目でものを語るとはこういう目のことをいうのだなあって思います。
そしてどこまでもどこまでも綺麗な目なんですよね〜。
透明感があるというか、これは内面から出てくるものだと思いますが、
あんなに綺麗な瞳でみつめられたら、今までのことを悔い改め、
綺麗な純粋な気持ちで生きていこうとか(笑)、自分まで浄化されそう。
奥二重で切れ長で、黒い瞳、白眼も混じりけのない白さで、
ときにはくりくりっとつぶらな瞳で、
睫毛のあの傾き方も、本数も(笑)、とても繊細な感じで、好きですし、
そして表情のある目ですよね。
まさに心が透けてみえる目の表情で、
あの瞳で、何度、泣かされて、うっとりさせられて、切なくなって、
幸せな気持ちになったことでしょう。


誰も寄せ付けない瞳、厭世的な瞳、遠くをみつめるような瞳。
見透かされそうな瞳、意志の強さを感じる瞳、すべてを受け入れる瞳。
いたずらっこのような瞳、子犬のように甘えた瞳、そして優しく穏やかな瞳。
上目づかいに翻弄され、うっすら涙ぐむ俯く瞳に心揺さぶられ、
切れ長の形良いアーモンドアイは、ずっと私の心を掴んで離しません。


そして小栗くんの目の綺麗さは最初に出会った頃と、全然変わっていないのです。
今でも濁っていないという事実が、一番嬉しいです。
それは見た目ではなくて、精神的なものが表われていると思うので、
どんなに環境が変わっても、その核の部分が美しいというか、
だから人の心に訴えることができると思うんですよね。
あの瞳に賭けてみようという気にさせる、信じられる瞳だと思います。
いつまでも小栗くんの瞳が、あの頃の透明感のまま、清らかなままで、
存在しますように。
近頃はそこに、力強さも加わって、
間違いないっていう綺麗な瞳になっていると思います。


またあの瞳に翻弄されたいですよね(笑)。
では最後に折角なので、八木重吉さんの詩集「秋の瞳」から。


心よ


ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追うて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ