雨が降っています。涙雨でしょうか。
まず16日の土曜スタジオパークに佐藤浩市さんが出演されていて、
小栗くんについて、スキヤキウエスタンジャンゴ以来の共演であること、
凄く良い座長になられたという言葉をもらって嬉しいなあと思っていたのですが、
その浩市さんも小栗くんも出演者皆さんが力を込めて是非観てくださいと仰っていた、
第15回、本当に凄い回でした。
つらくて悲しくて重厚で、でも策略、裏切りと、
まるでシェイクスピアの悲劇を観ているようで、
本当に引き込まれました、というか引き摺ってしまっています。
最初は晴れて八重さんと夫婦になってよかったなあとか、
義時と和田殿のシーン、横田さんと張り合って楽しいなあとか、
義時も畠山を利用して場を収めるなんて、あら、策略家ね、なんて思ったり、
そして酒を汲み交わす頼朝と上総介の後ろで、全てがうまくいって、
にこにこの義時、可愛いなあと思っていたのですが。
そこからが一変、悲劇の始まりでした。
この一連の出来事、それは最初から上総介を亡き者にしようとする、
頼朝と大江の策略だったこと。
大江「最も頼りになるものは最も恐ろしい」
頼朝「では誰ならよいのか、申してみよ。この中で死んでも構わぬ御家人の名を、
ここであげてみよ」
義村「気づいてねえようだが、お前は少しずつ頼朝に似てきてるぜ。
これは褒め言葉だ」
私は第14回の感想に、義時は今まで、素直で真面目で純粋で優しく温和な人と、
描かれているので、ダークサイドに落ちるにしても、
説得力のある描かれ方をしてほしいと書きましたが、
これはまさにとてつもなく衝撃的な説得力のあるきっかけの回になったと思いました。
だってこの素直さ、人のよさにつけ込んで、大江は義時を騙しているし、
この義時なら、その場で策略とは気づかないという説得力、
そして上総介の義時への信頼を利用して、謀反に巻き込む、
小四郎は意図せず、上総介殺害の加担をしたことになります。
そんなこと、あります?もう許せない、頼朝って思ってしまいますよね。
上総介は切られながら「小四郎、小四郎」と呼びかけ、
頼朝と対峙したとき、小四郎が頼朝のところへ行こうとして、
「小四郎!来ればお前も斬る」という頼朝の言葉に、
ああ、小四郎は自分を騙したわけではなかったのかと思ってくれたかな。
小四郎との時間は汚れずそのまま大切に思ってくれたかな。
ぽろぽろと涙が後から後から落ちる小四郎の顔を見て、
ほんの少し、ほんの少し笑ってくれたこと、小四郎の救いになってくれと、
祈るように見ていました。
浩市さんはそのシーン、義時を見て「お前は俺になるんじゃねえ」という、
思いが湧いて、最後、ああいう笑顔になったんじゃないかと仰ってましたが、
それはそれでこれからの義時への言葉として、心動かされます。
その後にあの手紙、しかも義時に読ませるという、
一番頼朝のことを思っていた上総介だったのに。
義時は心の中に兄、宗時と、上総介という重いオモリを抱え、
これからも歩んでいくのだなあと思いました。
放送を観て泣き、感想を書きながらまた泣いています。
でもこんなに心の中がいっぱいになるようなドラマとしてのパワーを、
噛み締めている自分もいます。
タイトル「足固めの儀式」は言葉通り万寿のための儀式であり、
頼朝の足固めでもあり、そして義時の若者からある意味清濁併せ呑む大人への、
儀式として秀逸なタイトルでした。
脚本、演出、そして小栗くん、浩市さん、大泉さん、本当に素晴らしい演技でしたね。
義時の思いはその目の表情からこぼれ落ちる涙から、痛いほど伝わってきました。
音楽も良かったです。最後の紀行はピアノバージョンになってよりしみじみしました。
来週も楽しみにしています。