穏やかに晴れています。
ご好意で、前の雑誌、新聞記事を読む機会に恵まれました(ありがとうございます)。
「お気に召すまま」の劇評が載っていました。
“役者はシェークスピアの時代にならい、すべてが男。
若手陣のせりふには少し物足りなさを感じる所もあるが、
スピード感と、勢いは十分。
男装の麗人を男性が演じるという倒錯性を含め、
芝居が本来持つ猥雑な雰囲気がうまく出た。
部分的に理解しにくいイメージもあるが、
装置と演出、役者の頑張りが合致して読後感はさわやか。
さりげなく現実を見据える目が、
「世界のニナガワ」らしい腕の冴えだ。”
素晴らしいなあって思います。
あのときのふたりの瑞々しい感じがよみがえってきます。
「アクチュール」の長塚さんとの対談で、小栗くんが、
「お気に召すまま」について、いろいろ思うところを言っていて、
長塚さんがそれに対して、とても丁寧に答えていて、
よく分かっていらして、いい方だなあって思ったんですが。
本当に「お気に召すまま」の小栗くんは、とても綺麗で格好よくて、
でもそれは、小栗くん、そのものではなくて、
あのオーランドーを演じていたからこそ、演じていなければ、
こんなに幸せにしてもらえなかったと思うんですよね。
21歳の気品溢れる、凛としたまっすぐなオーランドー。
オーランドーとロザリンドとのふたりの愛。癒しの森へ集う人々。
こんな空間があったんだ〜って思ったんですよ。
小栗くんはこういう夢の空間を託された人なんだなあって、すごく思いました。
こうやって、夢の扉を開けてもらった人もいたんだよって、
伝わるといいなあって思います。